北ア抜戸岳雪崩遭難者捜索再び Ⅷ
4月30日の「?」(後日発見地点近傍での仕草)
4月30日の捜索については、北ア抜戸岳雪崩遭難者捜索再び(2)及び北ア抜戸岳雪崩遭難者捜索再び(3)で述べましたが、雪面での「もしや」という臭い反応は見い出せませんでした。
しかし、「?」と思える仕草や行動があったことは確かです。
チャンスの反応を見るために、捜索作業中は目を離さず見入るように観察を続けました。
同時に「反応」や「気になる行動」と時刻を客観的に記録するため、可能な限りカメラに収めるよう努めました。
前記掲載ブログと重複する写真もありますが、「何かを感じている?」ような仕草行動を時間を追って並べてみました。
写真上 667→668→669 時刻 10:17台
写真上 670→671 時刻 10:20
写真上 672→673 時刻 10:20
写真上 674→675 時刻 10:38
写真上 676→678→679 時刻 10:38
写真上 681→682 時刻 10:44
写真上 683→684→685 時刻 10:45
写真上 735→736 時刻 12:38、737→738 時刻 12:39
実際の行動は、上記大岩付近だけでなく、幅広いエリアを行き来していますが、やはり「気になる仕草」が多かったのは大岩周辺だったように記憶しています。
ところが、30日の捜索時、「気になる臭い」が「大岩周辺から」出ているのではなく、「消失点下部積雪」から出ているのではないか、という疑いを抱いてしまっていたのです。
写真の仕草、動作が北ア抜戸岳雪崩遭難者捜索再び(7)に示したように、結果的には臭い流出のイメージのような「原因」からであっただろう… ということが頷けます。
ビデオによる記録と確認の必要性
捜索中の犬の「?」的な行動や、「ちょっとした仕草」「気になる行動」の中に重要な「答え」や「原因」の潜んでいることがある…。
今回の捜索では、示された「?」的な仕草、反応、行動を「目」でしっかり追い、その動作と周りの環境から的確に推理するためには、相当な経験と原因を分析するための「目」が必要である… と、あらためて感じました。
しかし… このような捜索自体に関わることは稀であり、現場の状況も個々に大きく異なることを考えれば、「客観的な目」と「見逃さない目」が絶対に必要かつ不可欠である!と感じ、それも大きな反省の一つであることを認識させられました。
客観的で「見逃さず」「再生できる」目とは、すなわち「捜索行動記録をビデオに」収めることです。
そして、「生の目」で観察して「?」と感じた場面を、その直後に行動や仕草を「再生」して客観的に「吟味」するのです。
もし、このようなチュックができたら… と後悔しています。
だがしかし、いつもザックに入れ行くビデオを今回に限って持って行きませんでした。
それは、前回(4月4~5日)の捜索が天気に恵まれず、ビデオを使用する上で大変煩わしい状態だったためでもありました。
後悔 先に立たず・・・。
5月1日の捜索初期(消失点下部での行動)
消失点下部の捜索初期、チャンスは谷側に「何かを感じ」、急な雪面を沢床まで一気に駆け下っていきました。(川側を気にするチャンス…何故? )
写真上 消失点下部の捜索では、沢に落ち込む崖縁近くのエリアから始めました。(7時50分)
写真上 崖縁エリア捜索をしばらく続けた後、指示等のない中で急に沢に向かう崖縁から下を気にする行動を起こしました。(7時57分)
まもなく、沢に向かって「何か」を目指すかのように、下って行き、姿が見えなくなりました。崖縁に向かい、沢を除くと、チャンスは沢近くの雪上にいました。(7時57分)
沢付近を覗いていると、こちらに向かって登ってきたため、「何を」「何処を」気にしているかを確認するために、下まで降りてみました。
沢に降りると、チャンスは沢水を飲んだり(舐め?)しました。
喉の渇きから「飲む」こともありますが、このときは「臭いを確かめる」動作の一つであったのかも知れません。
消失点に向かって登り返すときも、「何か」気にする動作を示していました。
これらの行動が「川に流れ込んでいる微細な臭い」によるものかどうかは確認のしようがありません。
しかし、前述したとおり、私の考えの中には「消失点下部積雪の融水(崖の下部から沢に流れ込んでいる)に溶け込んだ遭難者の臭いを感じての行動だろう」という意識が先行してしまっていたことも事実です。
捜索における経験と教訓
捜索における「悔やんだ」経験と「誤った」判断は教訓として次に役立てる…。
犬の明確な反応を別にして、犬の「?」反応をどれだけ役立てられるか…。
発見されたTさんのご冥福をお祈りするとともに、Tさんの捜索で得られた大きな反省と教訓を心に刻んでおきたいと思います。
北ア抜戸岳雪崩遭難者捜索再び END
遭難者発見の報
チャンスを使った捜索の翌日夕刻、捜索責任者のOさんから電話が入りました。
「今日の午後、見つかりました!」
「それはよかった! 本当にお疲れ様でした!」 「発見場所は?」
「岩からすぐ近く川の反対側、深さは1~1.5mくらいのところでした」
「あまりお役に立てませんでしたが、見つかって本当によかったです」
「いやいや、こちらこそ大変お世話になりありがとうございました」
発見の報の後、昨年末から続いていた「悲劇」の終焉を実感するとともに、昨日まで捜索に関わった者として、「なぜ?反応しなかったのか・・・」「なぜ?あの仕草から絞り込めなかったのか・・・」
そして… 「なぜ?余計な(誤った)推論を考えたのか…」等々が頭を過ぎりました。
自分に腹が立つ
「なぜあの時」「なぜこう考えなかったのか」「なぜこうしてみなかったのか」といったことが心の中にこびりつき、気持ちが晴れません。
そして、チャンスの行動分析、現場状況分析に未熟な自分自身に腹が立ちました。
「川べりのエリアをもう1日探れば…」
「すでに掘りだしたトレンチを横切るような格子状のトレンチを新たに掘っていれば… 」
捜索の手法や反省から、「こうすればよかった」「ああすればよかった」という思いが再び生じてきました。
しかし… それは結果(発見位置)が出たからこそ言えることでもありました。
「明確な反応をイメージし過ぎていた自分」「客観的な視野・分析力を閉じていたかも知れない自分」
現場で繰り返される読みと判断の難しさ…。
反省ばかりが心に残る捜索でした。
とはいえ、結果を知った上での検証はとても貴重で重要なことです。
「見方」や「考え」に誤りがあるかも知れませんが、「多分」という思いも含めて… 自分なりに検証しておきたいと思います。
発見場所
捜索関係者から発見場所を記した資料が届きました。
実際の発見場所を知ると、「何故?」という不思議さと疑問、そして「やはり」という妙な理解が交錯します。

2月17日に大雨による積雪崩落で発見されたKさんから近い大岩の裏側からTさんは発見されました。
そこは、4月30日のトレンチづくりをしていた中の一つでもありました。
何度も繰り返されてきた捜索が「こんなに近く」という考え方を遠ざけてしまっていたかも知れません。

発見された場所周辺エリアは、プローブによる捜索が繰り返され、そして4月5日と30日にチャンスにも探らせました。
雪面やトレンチ付近から「もしや!」という嗅覚反応は見い出せませんでしたが、「読みとれない仕草」「何かを感じる仕草」、5月1日の谷に向かって「何かを気にする行動」があったことが、「臭い反応」の一つであったことは確かです。

実際の埋没遭難者の位置と、チャンスが行動しながら「?」を感じさせる場面を合わせると上の写真のようになります。
雪面から「臭いがとれない」状況下、岩と雪の間、沢床と雪底の間から「臭い」が流れ出しているはずです。しかし、その臭いは「微量」で、「感じるがはっきりしない・・・」というものだったのかも知れません。
特定できない「?」行動、「何かを感じている」仕草や行動、そんな「?」に通じる記録を次回もう一度整理してみたいと思います。
消失点下部の積雪から解け出して崖下の沢に注いでいる水の臭いを感じての行動か、昨日の捜索エリアの積雪から解け出して崖下の沢に注いでいる水の臭いを感じての動作なのか… チャンスの行動をどのように読み取るかは判断の難しいところでした。
とにかく、消失点下部の積雪についての嗅覚捜索を進めることにしました。

崖縁から消失点に向かって、昨日行ったトレンチ(溝)を掘ることをお願いし、数本の溝ができたらチャンスに「怪しい臭い」がないか探ってもらい、その間捜索関係者には休んでもらいました。
反応の得られない状態で長く作業を続けることが多くなるため、終了間際に捜索関係者にお手伝い頂き、シグマチューブを捜索エリアの脇に隠し水難シグマを少しふりかけてもらいました。
もちろん、チャンスにはわからないようにして… 終了させる頃にそこに辿らせ反応させ捜索意識の持続を図ってやりました。

下部から一定のエリアを捜索し、そのエリアが終わったらその上のエリアにトレンチを掘り、再び捜索させる、ということを繰り返していきました。
掘り出した雪塊はトレンチの脇に積んでおくようにしました。雪塊にも臭いが留まっているかも知れないからです。
昨日の捜索では、掘り出した雪を川に流してしまいましたが、「臭いの残っている雪塊」が含まれていたかも知れないと反省。

トレンチを掘っている間、チャンスを休ませます。

トレンチ掘り(チャンス休憩)→チャンスによる捜索(捜索関係者休憩)→その上のエリアのトレンチ掘り(チャンス休憩)→・・・・ というような捜索方法で進めていきました。

新しく掘られたエリアを丁寧に捜索させます。


皆さんと休憩、エネルギーと水分補給。

何度か行き来させては臭いを探らせますが、気にする、スクラッチする、といった動作が現れませんでした。
昨日のエリアで行った捜索では、今日のエリア内の積雪由来の臭いを感じているのでは、と思いましたが、こちら側(現在)の捜索で気になる反応が出ないと、やはり川の向こう(昨日の)ではないだろうか… という気持ちが強くなってきます。
さらに、初期の捜索における川に向かった行動などを考えると…。
しかし、今日の捜索では消失点下部の積雪エリアで「反応がないか」確かめることが大事です。

消失点~下部積雪帯の捜索を終了下山。
時間があれば昨日のエリアを再度探りたい… という気持ちがありましたが、下山予定時刻が迫り終了することにしました。
発見へつながる「臭い反応」を得られず、残念な気持ちを抱えながら BCへ向かいました。
ベースキャンプには昨日私と一緒に入った2人が留まり、チャンスと私は一昨日に入った4人とともに下山します。
明日(5月2日)には新たに別の8人が加わり、捜索が続けられます。
連休中の捜索でも見つからないときは、再度お手伝いすることを約束し、皆さんとお別れしました。
しかし、翌日(5月2日)、ご遺体発見の報が届きました。
詳細と検証は後日また。
5月1日の捜索(消失点から下部の積雪)
5月1日の捜索は、昨日の捜索で気になった消失点下部から川に落ちる壁付近を捜索することにしました。

チャンスの「気になる仕草」が、昨日の捜索エリアから見ると消失点下部の積雪層由来の「臭い」ではないか… ということが「気に掛かる」ためでした。
同時に、2月に発見されたKさんとあまり離れていない位置で消失(見失う)したとはいえ、受けた雪崩の爆風によっては雪面に叩きつけられた… ということも「考えてしまった」ためでもあります。

チャンスが感じていると思われる「臭いの由来」場所と、いくつかの「であるかも知れない」という「仮説」から、今日の捜索が実施されました。
もちろん、重点捜索エリアが2箇所ある、ということで「昨日」と「今日」でそれぞれ調べる、ということは当たり前の手法とも言えるのですが…。

川側を気にするチャンス…何故?
シグマシュードを使って雪面付近に存在する「遺体臭」捜索の意識付けを行ったあとに、消失点下部の積雪表面の臭いをチャンスに探らせました。

ところが、昨日のように雪面を嗅ぎまわすことなく、川に落ち込む崖っぷち付近に移動してしきりに下を意識するようになりました。しばらくその行動の様子を見ていると、自ら雪壁に近い急斜面を下っていき姿が見えなくなりました。

対岸下部の雪面には、昨日の捜索エリア内に掘り出したトレンチが陰影となってきれいに浮き出ていました。

チャンスは川べりまで下り、何か気にしている様子。後を追って急な雪面を川床近くまで下りてみました。
崖斜面の雪はかなり減っていて、万一この付近に遺体があれば視認はもちろん、臭い反応ももっと明確に出るであろう、と思える状況でした。
沢の水を飲むチャンスを見て、単なる「水飲み」としか思わなかったこと… それも今回の反省の一つです。
捜索開始間近で、まだ喉が渇いているような状況ではなかったからです。でも、本当に喉が渇いて飲んでいたのかも… 知れません。
難しい判断とは、このような場合もあり得るのです。
上から川に向かって「気にした」動作が「臭いを感じて」なのか、「水を欲して」なのか…。

ところが、雪壁を登り返す段階でも「何か(臭い)を気にする」仕草を示していました。
これも、もしかしたら「遺体臭由来」の反応だったのでは… と思わせるものの一つでした。
結果(遺体の発見場所)が出れば、その行動(犬の反応)における理屈が「もっともらしく」説明できますが、結果の出ていない段階で推理や仮定することの難しさ…。
それは後日知ることになります。
北ア抜戸岳雪崩遭難者捜索再び Ⅳ
30日の捜索を終了して
初日の捜索で遺留品らしき手袋が見つかりましたが、場所を特定するような臭い反応が見られず、「消失点下部斜面の積雪内かもしれない…」という心理が働いたことは確かです。
時間が許せば、消失点下部と今日捜索した対岸エリアを行き来して探りたい、という気持ちがありましたが、その間の川を渡ることできない(下流の橋まで戻り登り返す必要がある)ため、作業として頻繁に行き来できない現実がありました。
対岸の消失点に続くアプローチ(3人移動中)。
30日終盤の捜索。
「何か感じる臭いはないか?」とチャンスに託しますが…。
「もしや」という反応は得られませんでした。
お疲れ様でした…。