山の行方不明者捜索 山形 Ⅶ
捜索2日目 29日(2)
28日午前中の捜索
山形の捜索では、遭難に至る流れをいろいろ推理し、今までの捜索結果を考え、さらにどこを探せばよいのか家族の方々と話し悩みました。その結果、午前中の捜索は駐車場から林道沿いに下流の沢まで行ない、捜索に入ったことのないという沢の様子を見ることにしました。
林道を下流の方向に進み、左岸周辺を確認したのち、左から本流にトンネルを通って流れ込む中を歩かせました(写真右:地図 I付近)。本流周辺はやや広く、草が生い茂り見渡すだけでは視認できない場所です(写真左:地図J付近)。
林道から沢本流の間で、地下タビ用の靴下をチャンスが拾ってきたので「もしや」と家族の方に確認。しかし… 関係ないものでした。
写真上は、地図のJ付近から見た未捜索の沢を挟む山の様子。天気は晴れで風はほとんどありません。
本流に注ぐあたりは小さな扇状地を呈していて、踏跡を辿って沢を遡り、K~L(二俣)まで探ってみました。
上写真左は地図K付近、右は二俣のL付近です。
二俣に到着した時刻は、9時17分。沢の中は樹木で覆われていましたが、二俣付近は木漏れ日が差していました。高度計(510m)とコンパスを使って位置を確認しましたが、もう一本東側の沢との関係がいまいち不鮮明で位置確認としてはやや疑問が残りました。
休憩中、チャンスが空のペットボトルを発見。人が歩いている沢であることは確かですが、二俣の上流を偵察してみましたが、小滝もあり「雨の中」「女性が1人で」登って行くような沢ではない… と判断しました。
9時27分、戻り始めました。
しかし… 「何か気になりもう一度二俣周辺を調べた」と、その時の手帳にメモが残されていました。ところが、何故気になったのか… 思い出せません。チャンスに気になる反応があった、というわけでもないのです。
そして、9時34分二俣を後にしました。
陽射しの強い本流にもどったとき、ふわふわ飛ぶウスバシロチョウ(アゲハチョウの仲間)を何度か目にしました。
消えてしまった奥さん(行方不明者)の化身… 考え過ぎですが、ふとそんな気持ちになったのも事実です。
岩手・宮城内陸地震の行方不明者捜索はまだ終了していません。
今回の行方不明者は、市街地震災に見られる倒壊家屋ではなく、地震による山体崩落から起こった土砂による被災で、その規模は大きく埋没エリアは広く、さらにどこに埋もれたかはっきりしない状況が捜索を困難なものにしています。
そして、「救える命のため」という捜索救助犬の一義的な目的から、「家族の元へ」帰らせるための捜索が主体となっているという現実を直視しなければなりません。
捜索の対象が亡くなっている行方不明者に変わっても、家族の元へ帰すことができれば、家族にとって辛く悲しい悲劇に終止符を打つことができます。
しかし、不明のままという状態は、いつまでも悲しく辛い悲劇が続くことになってしまいます。
捜索犬関係者として忘れてはならないこと
これまでに関わってきた山の捜索では、生存、帰還という僅かな望みから、「生死にかかわらず家に帰えらせたい…」という切実な願いに変わっていくご家族と何度も接してきました。
そして、ご家族の心情を肌で感じながら、それになんとか答えてあげたい… という気持ちで、捜索を行ない、多くを学んできたつもりです。
前にも記しましたが山の捜索は難しく、発見という結果を出せないことが続いても、家族の方々は捜索犬のけなげな姿勢に感謝し、感動さえしてくれることがあります。
それはきっと、犬そのものの心を癒す力の存在によるものだと思います。
捜索現場で新たに会う家族にとって、行方不明になってしまったという悲劇は初めての出来事なのです。
捜索者としてある意味慣れてきてしまっている私たちは、家族の気持ちを理解する心と、自分の犬と「できるだけのことをしてあげよう!」という気持ちを忘れてはなりません。
私は捜索の途中、ときどきチャンスに「早く探してあげよう!」「見つけてあげようね」と囁くことがあります。チャンスにとっては初めての捜索であった3年前の雪渓埋没者捜索のときから、そんな気持ちと願いを犬に伝えるようにしています。
半年後の夏至
ブログを書き始めて今日でちょうど半年になります。
初めての書き出しは、昨年12月の21日。そのときはあまり意識しませんでしたが、翌日の22日が冬至でした。そして、半年後の今日は夏至。
高い太陽と低い月
日中、いまごろの太陽はとっても高い空の上にいますが、この時期は梅雨どきで夏至に太陽を拝むことのできない方が多いようです。関東も今日明日と雨模様で夏至の太陽を見ることはできそうにありません。
ところで、なんとなく感じている方も多いと思いますが、今頃の月はとても低く南に傾ったところを動いていきます。
一昨日の夜、東京の夜空に満月のような月が南の空に見えました。やはり、かなり低い位置でした。ちょうど… 冬至の頃の太陽のような高さです。
何故でしょうか?
その理由は… 地球が傾いて回転(自転)しながら太陽の周りを回っている(公転)ことと、月の軌道がその公転軌道面とほとんど同じ面上を回っているから…。
傾いた方向に太陽がちょうど向き合ったときが「夏至」ですが、月は地球の傾きなんてまるで気にせずに公転面とほぼ同じ面上をぐるぐる回っている感じです。
すると… 夜側に回ったとき、月の位置がちょうど夏至と逆の冬至のときの太陽の位置に似たところにあって、月がとても低く見えるのです。
ただし、一番低く見えるのは太陽と反対側の「満月」頃で、夏至のときに満月になるとは限りません。今日(21日)の月例は 17.3で、少し欠け、遅めに昇ってきます。多分雲の上に行かないと見れませんが…。
夏至の今日、東京の日の出は 4時25分、日の入はちょうど夜の7時となっています。
昼の時間が14時間35分もあり、その前後の明るさを入れれば、人工的な明りなしで15時間以上過ごせる日… とも言えます。
しかし、実際には、雲におおわれ実感は薄れそうですね。
ブログを始めて半年、ちょうど冬至と夏至というはざ間に合わせて… 「雲の上の空事」を綴ってみました。
厳しい現実
本日のニュースによると、駒ノ湯の被災現場で新たに1名の遺体が発見された。
テレビに駒ノ湯温泉宿周辺の捜索作業の様子が映し出されたが、その中に家屋に掛けたロープを消防のレスキュー隊員数名で引き倒す場面があった。ショベルカーのような大きな重機を使えない現状が見て取れる。
また、自衛隊員が横一列に並んで、皆で棒状のものを地面に挿している場面があった。
これは、雪崩埋没者を捜索するときのプローブ(ゾンデ)捜索と同じだ、と感じた。
これまでに投入された捜索犬の写真や記事を見ると、土砂災害現場となっている駒ノ湯周辺での捜索の難しさ、困難性が感じ取れる。
やはり、臭いがとれない…。
そして、取れるかもしれない僅かな臭いは生体臭ではなくなっている…。
水難で水に沈んだり土砂に埋没した人は、厳しい現実にさらされる。
雪中埋没でも時間が経てば、生き続けることはできない。プローブ捜索模様は、その厳しい現実をまざまざと見せつけられるようであった。
特殊な現場に合わせた訓練の必要性
捜索犬の訓練の中で「遺体臭捜索訓練」や「水難遺体捜索訓練」といった特殊な訓練があるが、そのような訓練を経験していない犬の場合、このような現場はより一層難しいだろう。
もし僅かな臭いを感じても、それは経験したことのない臭いであり、避けたり反応しなかったりで終わってしまうかも知れない。
このような特殊とも言える現場では、特殊な訓練をした捜索犬がより現実的で有用だと思う。
もちろん、そういう訓練をしていても、水を含んだ土砂という臭いの出にくい環境の中での捜索に、困難がつきまとうことに変わりはない。
雨よ、まだ降るな!
明日は雨が降り出すかもしれない。危険が増し、捜索が中断されるかもしれない。
雨量が多ければ、その後の捜索はさらに困難になる。
その前に… 行方不明者全員が発見されることを… 祈っている。
厳しい現実であろうとも、早く見つけ出し救出してあげたい…
それは家族や身内の切なる願いである。
全ての方が発見できるまで、雨よ降るな!
不運にも被災しお亡くなりになった皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
岩手・宮城内陸地震
14日の午前8時43分頃に岩手県と宮城県の県境付近、栗駒山近くで大きな地震が発生した。東京にもその揺れが到達し、場所によっては震度3ほどになった。
震源地から東京まで400km近くあるので、横揺れの地震波(S波:秒速3~4km)が到達するまで、1分半から2分ほどかかる計算になる。東京で感じた揺れは、8時45分くらいになっていただろう。
東京でも揺れたそのとき、たまたま自宅に居たため、テレビによるニュース速報をその後継続的に見ることができた。岩手県と宮城県内のいくつかで「震度6強」を観測… というくだりで、これは「被害の大きな地震になりうる」と判断。
「震源の深さは?」 その深さと震央(通常震源と言っている)を知るには、しばらく待たねばならなかった。
捜索犬関係者としての初動対応
震源が10kmと浅く、マグニチュード7という情報が届いたとき、「これは捜索活動が必要になる地震災害濃厚」と判断、同時に被害の小さいことを祈り、願った。
一番知りたい情報は「倒壊建物が多いかどうか」である。1時間ほど経って、ようやく被災地上空を移動するヘリによる様子が流れてきた。この時点で、倒壊家屋が目につけば、被災地に出向く準備を至急に進めるつもりだった。しかし、市街地はもちろん、点在する村落の中に倒壊したものが見当たらない。
最大震度6強を記録した周辺からの被害情報もなかなか入ってこないので、被害の大きな場所よりも周辺からの情報が先に入るドーナツ現象か…とも思われたが、時間が経ってもそれほど大きな被害情報は入らず、行方不明者情報も数カ所に留まった。
岩手県や宮城県にはいくつかの捜索犬活動をしている団体もあり、また、被害情報が膨らみ行方不明者数もどんどん増えるという最悪の状況はなくなった。
そして、こちらから出向かなくても大丈夫だろう… そう判断できる状態となった。
もちろん、依頼があれば活動を開始することに変わりはない。
地震発生時の対応について
今回の岩手・宮城内陸地震も、昨年7月の新潟中越沖地震、そして2004年10月の新潟中越地震と、海溝型地震のように発生が高いと予想されたものではなく、確率的に「予想されていなかった」場所ばかりである。
プレートの潜りこむ力で強い圧力を受け続けた地殻に「しわ寄せ」状態のようにヒビが入ってズレた!ような地震で、規模ははるかに大きいが四川地震と似ている。
地震発生の報を聞いてから捜索犬活動を行なうかどうかの対応を、私はだいたい下図のように考えている。
「被災地に早く入り」「何時でも対応できる」のが理想だが、その前に「より近くの捜索犬」が対応するべき、と考えている。
もちろん、近くに待機していて、必要な現場が出れば「即応」するということができれば、それに越したことはない。ただし、ボランティアとして余裕を持って、活動できる諸条件をクリアしなければならない。
マグニチュード( M)の数値と震度の数値を混同している方が時々いるが、マグニチュードは地震の規模(エネルギー量)を数値化したもので、揺れの度合を示す震度とはまったく違う。
ただ、震源が浅く(20kmよりも浅い)、その数値(M)が7に近いか7以上なら「相当の被害」が出ると考えられる。震源が浅ければ浅いほど、その上部の揺れ(震度)は大きくなるが、大きな揺れの範囲は狭まる。逆に深いと、揺れは小さくなるが、ゆれる範囲は広くなる。
詳しい被害状況が伝わる前の、地震情報だけで大枠の対応は可能となる。
不幸中の幸い
今回の地震は、不幸中の幸い的な「条件」がいくつか重なっていたと感じた。
①地震発生が、土曜の午前中であったため、普段より人の移動が少なかった。
②震源が山間部であったため、人口密集地で起こりやすい家屋倒壊被害が少なかった。
③梅雨末期に多い東北方面での大雨の時季に入っていなかったために、雨の影響がでていない。
救助隊の移送、救出活動、避難活動に支障がなかった。
⑤天気が良いことは、被災した人々にとっても大きな助けになる。
とはいえ、震源に近い山間部の被害は甚大である。 歴史的には多くの記録があるが、山体の崩落は「人が想像する被害」を越えている。
以前、私が見た台湾九分ニ山の崩落現場は岩屑(がんせつ)雪崩と呼ばれるものであったが、今回の崩落は火山性堆積物の山が巨大な地すべりのように動いている。
このような現場は、実際に現れ、体感しない限り「想像しにくい」まさに天変地異そのものだ。
そして、栗駒山の一部が崩落して起こった土石流の先に駒ノ湯温泉宿があり、流されてしまった。
山体崩落と駒ノ湯温泉現場
数百m土石に流された建物の中とその周辺に、未だに行方不明のままの方がいる。捜索犬も参加して、消防、警察、自衛隊と大量の人員が投入されて、懸命の捜索が続けられているが、土砂災害における捜索救助活動の困難性を見せつけられる。
土砂が倒壊建物の隙間を多い、臭いを閉じ込める。泥の堆積で家屋の解体や除去がままならない。足場はぬかるみ、潜り、滑り、思い通りに事が運ばない苛立たしさまで伝わってくるようだ。
天気が崩れ、作業ができなくなる前に、発見救出されることを祈っている。
山の行方不明者捜索 山形 Ⅵ
捜索2日目 29日(1)
2日目の朝、昨日多くあった雲も消え、よい天気になりました。
7時に、ご家族4人と駐車場で再会。今日は、ご家族と私とチャンスだけの捜索となります。
行方不明になっている奥さんの旦那(T)さんと息子さん、そしてお二人の娘さん。捜索開始から1週間以上経ち、相当な疲れがたまっているはずですが、差し出してくれる飲み物やおにぎりを頂いくと、ありがたさよりも、家族の最後の望みのような… 切実な思いを感じないわけにはいきません。
行方不明当日は雨
あらためて、今まで捜索したルートや内容を話してもらったり、地元の霊能者のような方から伝えられたという「××と〇〇の間に」「知らない沢に」という情報にも耳を傾けました。そして、「林道を下っていて自動車事故にあって遺棄された」という推理小説まがいのことまで…
推理を拡大していけばキリはありませんが、「これだけ探しつくして見つからない」ことに、「不思議」さがつきまといます。
捜索では、できるだけ冷静に「道や地形から考えられること」「山を歩いている者の心理」などを考えて、「道迷い」「転落・滑落」の可能性の高いところから行なうようにします。もちろん、有力な目撃情報や遺留品情報があればそれを起点に考えます。
その不思議さの前提になっているのが、当日はかなりの雨が降っていた、ということでした。
山菜採りにきた当日はあいにくの雨で、奥さんを車に置いて、Tさんだけが北側の尾根を登って山菜を採りに行き、そして駐車場に戻ったら奥さんがいなかった、というもので、行方不明者の行動の起点がこの駐車場だったことが「推理」を難しくしてしまいました。しかも「雨の中」です。
上の図は捜索現場から比較的近い「山形県小国町」のアメダスデータを表にしたものです。5月20日の午前中は雨が降り続いて様子が伺えます。
小国町は標高 140m、行方不明になった現地は 540mです。小国町よりも370mほど高く、単純に考えれば気温は2℃ほど低く、また山の影響で雨量も局地的に多くなっている可能性があります。
当日は低気圧が去って移動性高気圧が西からおおってきていて、地上天気図では天気の回復が期待されるような気圧配置に見えますが、東北南部の山々は雨が降っていました。その原因は、上空の寒気と気圧の谷です。
下図は、Tさんの奥さんが駐車場を離れて移動していた頃(5月20日午前9時)の地上天気図(気圧配置)に、上空の寒気の様子(青線)を示したものです。
ご家族と何度もいろいろと話をして、いろいろと推理をして、情報を整理してみました。
①この場所と「平場」と呼ばれるところまでは、過去10数回来て慣れている。
②林道周辺と平場以外には採りに行ったことがない。
③雨の中、沢沿いの道は歩きにくいのであまり無理はしないはず。
④年齢は70近く。しかし、足腰はしっかりして身軽で行動力がある。
⑤多少の困難があっても目指すものがあれば登ってしまう。
⑥Tさんが昼前に戻ることを知っていた。
⑦とても小柄な方で、身を丸くすると小岩や草陰に隠れてしまう。
これらの情報から、何度も地図を眺め、行動して行きつきそうな場所、迷い込みそうな場所、今まで捜索して抜けているところはないか…等々考え、そして悩みます。
ここまで探してきて見つからない、何の手掛かりもなし、となると… 霊能者の言葉も気になってしまうのも事実です。
山の行方不明者捜索 山形 Ⅴ
捜索1日目 28日(2)
駐車場周辺で反応がないか調べたあと、例年通っているルートの沢筋に向って入り、どのような状態かを含めて捜索を試みました。
沢の本流を挟んで、対岸の斜面下部には泥と木屑にまみれた雪が残っていました。残雪にはいたるところに雪解けの穴や割れ目が出来やすいので、「もしかしたら…」という可能性を考えて確認しました。(Bエリア)
例年通っているという沢沿いのルート下流域にも雪が残っていました。目視でくまなく探されているはずですが、周辺の臭い反応をチェックしていきました。(Bエリア沢沿い)
沢沿いルートの途中までを登り、周辺を歩かせて反応をみました。(写真左:Cエリア)
午後は、行方不明者ご家族の息子さんと知人の方の2名に少し離れて後方についてもらい、別の沢に沿って登りながら、反応がないかチェックしました。(写真右:Dエリア)
下地図は、1日目(27日)に捜索犬として捜索を行なったエリアを記入したものです。
行方不明現場がどのような場所か、どのような行動が可能か、あるいはどのような状況で戻れなくなりそうか、などの情報は得られましたが、辿ったエリアで捜索犬チャンスの反応はありませんでした。
ご家族は、「知人等への負担はもうこれ以上かけられない」「そろそろ気持ちに区切りをつけなければならない」と心情を打ち明かしました。
私は「もう一日動けるのでお手伝いしたい」と伝え、「それではもう一日探してみよう」ということになりました。
ご家族が途中気にする林道の分岐点まで一緒に戻って説明を受け、明日の集合時間を決めて別れました。
まだ明るく、陽射しも残っていたため、気になる林道沿いの一角を少しチェックしたのち、県道まで戻って、手頃な場所を探して「宿泊」地とし、明日に備えました。
捜索1日目 28日(1)
2007年5月27日、午前0時に東京を出発、東北道を北上して福島から未明の国道を米沢に向いました。現地近くで1時間ほど仮眠したあと、行方不明者のご家族の待つ林道入口に8時到着、関係者の車のあとをついて、長い林道の行き止まり駐車場まで移動しました。

あらためて詳しい流れと状況を聞きました。電話やFAXなどで得た情報で大枠はわかっていましたが、実際の話を現場で聞くと、その場で「あった事」 が現実として伝わってきます。
行方不明になっている方(奥さん)は、1週間前の20日午前中、旦那(T)さんが山菜採りに山の中に入っている6時間ほどの間に、この駐車場から忽然と消えてしまった…。しかも、雨降る中。
そして、何時間待っても戻らないことに不安を感じ、鍵が掛けられて車を使えない中、林道を歩いて民家のあるとこころまで辿りつき、警察に届け、そこから捜索が始まったこと… 等々。
探し尽くしたあとを探す…
警察、消防が可能性のある行動範囲をくまなく探したが見つからず、家族と知人がさらに考えつく範囲を何度も探し続け、「これ以上どこを探せばよいのか」と悩むほどの状況下、捜索犬としてどこを優先して探すかの判断をしなければなりません。
さらに、初日の捜索は、地図や植生でイメージしていたものと、現場の状況を一致させ、ハンドラーとして現場がどんな山なのかを知る必要があります。
いろいろ相談して、視認できていない(視覚から漏れたり、死角にあったり)可能性を考えて、駐車場近傍や行方不明の奥さんが過去に何度も入ったことがあるというルート周辺を捜索することにしました。

上の地図は、駐車場周辺と山菜採りに入るルートを記載した周辺拡大地図です。
例年使っているルートはもちろん、Tさんの奥さんが駐車場から行動しうる可能性のある沢や尾根周辺は、警察、消防、家族及び知人が何度も探していました。
行方不明当日の夜から数日の間、駐車場で火を焚き、山に向って大声で問いかけ、奥さんからの反応を待ち続けたが… 何の手掛りも得られなかったそうです。
奥さんはとても小柄で、どこかに落込んだり、うずくまっていたりする可能性もあり、その場合はちょっとした木立や草陰でも視認できないだろうとのことでした。
捜索犬としては、視認捜索で見つけられなかったところを含めて、目に見えないところからの「臭い反応」を中心に注意深く調べるしかありません。
山の行方不明者捜索 山形 Ⅲ
捜索と天気
捜索を行なうために捜索日程を依頼者と調整する上で大事なことは、現在の天気とこれからの予想、そして捜索に支障のない天気かどうかを知ることです。
とくに、山岳地帯に入るときは、捜索側の安全を考えて天気の把握は重要です。
捜索に入れる日程を踏まえて、現在の天気の流れ(総観場)と山形県のこれからの天気を調べます。これもウェブ情報から検索できます。
私の場合、どうしても天気図を見ないと納得できないタチなので、必ず現在の天気図と予想天気図等を見ます。そして、各地の週間予報をチェックし、できるだけ捜索に支障がない天気に合った日程を調整するようにしています。
上図は、日程を調整しはじめた5月26日(9時)の天気図(左)と、捜索予定日程(28~29日)前日の天気図(右)です。
26日は低気圧が東へ抜けましたが、27日は日本海の低気圧と上空の気圧の谷が残り不安定な天気。28日は天気が回復するであろうことが見えます。
これに加えて、出発前までに最新の予想天気図を見ておけば、より確かな天気の動きをつかめます。現在の状況を調べて、またこれからの流れをある程度知るために、天気図のチェックは欠かせません。
そして
気象庁HPから26日に調べた山形県の週間天気予報。予想からも、28日~29日が「捜索に支障のない天気」であることがわかりました。
これらの情報は、朝、昼(11:50~12:00)、夜(18:50~19:00)などにテレビ放映される解説つきの天気予報を注意深く見ても得ることができます。
そして、気圧配置の変化と流れを知っておくことで行動中の天気の変化が理解でき、また風向きの具合もある程度知ることが可能です。
こうして、地図等から捜索現場をイメージし、これからの天気を知り…
装備をまとめ、食糧を準備し、山形に向って出発しました。
山の行方不明者捜索 山形 Ⅱ
捜索地までのアプローチ
山の行方不明者捜索の依頼が来たとき、まず一番に知ろうとすることは「その場所(位置)」と「状況」です。
そしてその場所と状況を客観的に知る一番良いの方法は「地形図」です。
これは、地震災害のときも同様です。
現地までの距離やアプローチ、途中の状況などをある程度つかみ、その後目的地(現地)とその周辺の詳しい地勢を知る努力をします。
現在は、地図検索ウェブがいろいろあるので、手元に地図がなくても「地図情報」を入手することが簡単にできます。山間部の捜索に国土地理院発行の 2万5千分の1地図は欠かせませんが、これも同ウェブから手に入れることが可能です。
さらに、その場所の航空写真が見れればイメージをより確かにできますが、山岳地帯の航空写真はなかなか手に入りません。
だいたいの位置やアプローチを知るのに、ウェブによる地図も便利ですが、視覚的に理解するには国土地理院発行の50万分の1地図を壁などに貼っておくと良いと思います。
捜索犬関係者にお勧めしています。東京周辺に住んでいる人は50万分の1「関東甲信越」地図が便利です。
通常関わる捜索活動はこの範囲に大抵収まりますが、地震災害時の活動を考える場合は、これに「中部近畿」と「東北」が加わると完璧かも知れません。ただ、貼り付けるような場所がないという問題も。
実用面で重宝するのは、10万分の1の道路地図(山の様子もだいたいわかる)でしょうか。詳しいアプローチ情報と現地周辺状況がこの地図から読み取ることができます。
山形からの依頼を受けたとき、一番最初に思ったことは「遠い!」でした。
だいぶ前に、月山や鳥海山まで車で行ったことがありました。その印象は「ずいぶんと遠く長かった」です。しかも、そのときは知人と運転を交代できました。今回、乗合いは… チャンスしかいません。
しかしそのあと、米沢が福島市の西方に位置していることを確認、現地までのアプローチがさほど困難でないことを知って、気持ちがだいぶ楽になりました。
現地の地勢を知る
捜索する場所がどのようなところなのか、標高と地勢(山の形状、尾根や沢の様子など)や植性(針葉樹とか広葉樹、あるいは草地など植物の様子)をあらかじめ調べてイメージしておくと、現場に着いて状況を聞き、捜索ルートなどを検討するときに役立ちます。
過去に登ったり歩いたりしたことのある山域であれば、より詳しい検討ができますが、そううまい具合に遭難地が重なることは希です。したがって、捜索に出向く前に、できるだけ現地情報を手に入れておきます。
私がいつも持参するのは、依頼者や関係機関から得た情報をもとに、捜索に必要なエリアを網羅している国土地理院の2万5千分の1地図を拾い出し、さらに必要と思われる部分を拡大コピーして 1万分の1~5000分の1くらいの地図にしたものです。
まず、捜索域の載っている2万5千分の1地図を見つけます。
その中から、行方不明になった周辺域をピックアップして、拡大コピーします。
上図は、捜索のときに使った拡大地図でだいぶ汚れていますが、適宜位置を確認しながらメモなども入れていきます。
捜索で大切なことは「どこを探したか」です。
私は、探したエリア、探していないエリアをできるだけ詳しく記録するよう心掛けています。
最近はかなり精度のよいGPSがあるので、使いこなせればより正確を期すことができます。しかし、実際の地形と拡大地図を照らし合わせ、さらにコンパスと高度計で時々チェックすれば、捜索している位置をだいたい知ることができます。
しかし、草木が生い茂りるようになると、視界の悪い山中での位置把握は極端に悪くなってしまいます。山形の捜索は、日に日に緑が濃くなり、あらゆるものがその陰に隠されていく状況下でした。
山の行方不明者捜索 山形Ⅰ
先日、名古屋から届け物が宅配されてきました。
送り主の名前を見てすぐに誰?と理解できず、しかも名古屋に現在知合いはいないので、中の手紙を見るまで、昨年山形で捜索を共にしたご家族の一人であることがわりませんでした。
届け物の中には、名古屋名物やチャンス用のお菓子などが入っていました。そして、中の手紙見て、一年前の捜索のことをつい先日のことのように思い出しました。
一年前の捜索
昨年の5月下旬、山形の米沢に住む方から「藁をも掴む思い」の気持ちを伝えられ、「捜索をお願いしたい」旨の連絡が入りました。
5月20日、山菜を採りに山に入って行方知れずとなり、21~24日と警察や消防が捜索、25~26日は家族と知人のみで捜索を行なったが見つかっていない、というものです。
最初、山形に近い新潟や岩手で活動している捜索犬関係者を紹介しましたが、近日中の対応が難しいとのことで、急遽27日の捜索からチャンスと参加することにしました。
26日の夜に東京を出発、福島~米沢と走り、現地近くの山中で仮眠。
27日の早朝、ご家族と合流し、林道をさらに奥まで入り行方不明となっている現場に入りました。
27日の捜索は、家族の方4人と、知人の方3人、そしてチャンスと私で、視認漏れを考えて、再チェックするような捜索をしました。
28日は、家族の方4人とチャンスと私のみの捜索でした。
詳しくは、このあとに述べますが、捜索活動の最後の最後になって、分かれて探していた家族の手で直接発見することができました。
28日は、午前中までの結果から、「もう一度確認してみたいところを探そう」という最後の望みのような気持ちで捜索に入りました。そして… 終了間近、家族が下山路を探すような状況の中で、ご遺体が発見されました。
最終日午前中の捜索を終えて駐車場に戻ったとき、家族の方々といろいろな話をしました。
一週間以上の捜索に何の手掛かりもなく、これ以上どこを探せば良いだろうか、あるいは、遭難者が行動する可能性の推理、推測などなど。そしてさらに、考えつく事故や犯罪までも…。
しかしその午後、諦めかけていた最後の最後… 辛く悲しい結果でしたが、家族の元に帰ることができました。
お礼の手紙
そして一年が経ち、実家の米沢から離れて名古屋に住む娘さんから、当時の辛い気持ちやその後の家族の様子、チャンスと私へのお礼などを伝える暖かい手紙が届きました。
この捜索を通じて私が一番感じたことは、「とにかく見つかってよかった!」こと。
「誰が発見したかは問題ではない」こと、「発見は捜索に関わった皆さん全ての結果」ということでした。
捜索犬活動をしていると、行方不明者の発見を「手柄」としてとらえる風潮が多いのですが、「犬は人より遠くから」「犬は見えない状況でも」「臭いをとらえれば人より早く」見つけられる得意技を持っているだけです。
「臭いを感じ取れるエリアに入れば、探せて当たりまえ」というくらいの気持ちが大事だと思っています。人でも犬でも、「選んだルート」「選んだエリア」に 遭難者がいなければ見つかりません。
現場の捜索は、犬や人が「いかにしてエリアを絞り出すか」そして「早く見つけ出すか」の世界であり、 決して「人と競い合う」世界ではありません。
捜索犬 普段の訓練いろいろ 12
捜索犬の足腰・ハンドラーの足腰
種々の現場で余裕ある作業をさせるために、捜索犬の高所や不安定な場所における馴致訓練が大切なことは、何度も伝えてきました。そして、瓦礫のような危険の伴う足場では、そのような環境下に慣らしておくことが一番です。
ところが・…
犬の問題以前に、「足腰バランス」を強化しなければならないハンドラーがたくさん…
というのが現状のようです。
「危なっかしくて見ていられない」「足取りがおぼつかなくて不安」といったハンドラーは、捜索現場で「何ができるのだろう」と考えさせられます。
「瓦礫」に入らなくても捜索できる… という設定は、「試験」などの限られた条件、恵まれた条件です。
少なくとも「不安を感じさせない」程度の足腰とバランスを持って移動や登降できる技量は身に付けておいてほしいと思います。
これまで、多くの犬とハンドラーの様子を訓練等で見てきましたが、ハンドラーのおぼつかない足取りを犬が見ていて、犬がそれを「気にして」作業ができなくなる… といった場面を目にしたことがあります。
「犬がハンドラーを気遣ってどうするんだ!」なんてことのないように…
せめて、「自分の犬に不安を与えない動き」ができなくてはいけない、ということをハンドラーは知っておいてほしいと思うのです。
といった願いもこめて… ときどき「瓦礫歩行」訓練も行なうことにました。
犬以上にハンドラーのために…
今後は、慣れるだけでなく、より積極的な「強化メニュー」を考えていこうかなぁ… とも。
「良いポーズ」は瞬間芸のごとし。けっこう難しいですね。
捜索犬 普段の訓練いろいろ 11
嗅ぎ取る意識「チェック」の行動イメージ
普段の訓練の中で、漏れ出す臭いを嗅ぎ取る「クセ」をつけるための「チェック」訓練を前に示しましたが、そのイメージを図にしてみました。
嗅ぎ取りながら移動する犬の行動軌跡は、あくまでも イメージですが、「チェック」というコマンドに対して犬が丁寧に「嗅ぎまわし」「嗅ぎ取ろう」とする動作に結びつけば、「弱い臭い」でも「見逃さない」訓練につながります。
チェックの意識の確立と同時に、遠隔的な指示を組み入れていけば、「漠然と」「自由に」捜索させるのとは異なった、「チェックさせたいエリア」を離れた位置から探させることができるようになるはずです。
もちろん「いきなり」ではなく、「丁寧な嗅ぎ取りチェック」を常に意識させながら、ハンドラーと犬の距離を次第に大きくしていくような段階を踏んでいきます。
捜索BOX郡ごとのチェック
チェックさせたいBOXをいくつかにまとめて、そのBOX群ごとを丁寧に捜索させます。最後にチェックさせるBOX群にヘルパーを隠し、それ以外のBOX群を順次チェック捜索(0回答)していき、最後にヘルパーの潜むBOXを発見させて終了します。
最後のBOX群までは、要所要所で犬をコントロールしなければなりません。もし、最終BOX群からヘルパーの臭いが流れてきて、犬が反応していても、この訓練ではチェックすべきBOX郡をしっかり捜索させることを優先させます。
この訓練は、あくまでも「見逃し」を防ぐためのチェック意識の強化と、指示したエリアを捜索させるコントロールの強化の訓練と位置付けています。
BOX群Ⅰのチェックを終え、Ⅱのエリアをチェック(左)し、ⅢのBOX群で反応・告知(右)するミニチュア・プードル
最終BOX群Ⅲでヘルパーの臭いに反応(左)、告知(右)するミニチュア・シュナウザー