山の行方不明者捜索 山形 XI
行方不明者ご家族から発見の報を聞きたとき、その場所の情報は「ここの沢の上の方」というだけでした。
沢を遡り、地図上の二股位置を勘違いしたまま、「この沢は雨の中登れない」という判断で遭難者のいる支沢と反対の沢に入ってしまったことなどを前回お伝えしました。
実際に入った沢の位置などを再度記入し、ヘリの飛行したルート概要を記したものを以下に示します。
地点Lが二股、Pが遭難者発見及びヘリによる遺体回収地点、地点Mは私がいた場所になります。
常に意識しなければならない自分の位置
捜索したルート、発見位置などを正確に記録することは重要です。しかし、これまで多くの捜索に携わってきましたが、「自分がどこを捜索したか地図で説明できない」という方をよく目にしました。
山の捜索では、自分の位置を把握できなくては「自分自身が道迷い」して「遭難」してしまうことにつながります。
私は、国土地理院の2万5千分の1地図を250%拡大した「1万分の1コピー地図」とさらに×2倍した「5000分の1コピー地図」を現場で使用しています。
このくらいに拡大すると、現場の地勢との関係がかなり詳しく読み取ることができます。それにコンパスと高度計を加味すれば、かなり高い精度で自分の位置を知ることが可能です。
現在市販されている精度の高い携帯GPSを使えば、より正確なデータが得られますが、位置情報だけであり、地形図に表現されている地勢との関係や周辺情報を読み取ることができません。
捜索や移動する現場で、地図の所持と読図は欠かせません。
しかし…
今回の発見現場付近の沢では見事にしくじりました。形状の似ている沢で合流点や屈曲点を見過ごしたりと、基本的なミスを犯してしまっただけでなく、コンパスの使用時にも誤差を生じてしまったようです。
沢の遡行は意外と難しく、似たような支流や出合が数多くあり、コンパスを使って慎重にチェックしないと「思い込み」や「勘違い」を生じ、予定ルートを逸脱してしまうことがあります。
私もその昔、沢登りで違う支流に入ってしまいそのまま遡行してしまった、という経験を何度かやっています。
よく知られた沢では、支流の特徴や目印になる滝や岩、樹木などを記したルート図がつくられていますが、名も知れぬ沢で頼りになるのは地図だけです。
沢に限らず、地図を確認しながら丁寧に辿り、常に自分のいる位置(捜索している位置)を確認をすることはとても重要です。
そして、できる限り地図や手帳にメモを残すようにします。
発見現場の正確な位置
捜索を終え、東京に戻ってから、気になっていた発見現場の位置について山形県警に問い合わせました。今回、発見現場から遺体を回収したヘリにGPS記録が残っていたため、そのデータを教えてもらうことができました。
しかし、その結果を2万5千分の1地図上に正確に記するのは意外と大変でした。
比較的新しく発行された2万5千分の1地図では、枠に記載されている緯度・経度が2種類併記されています。世界測地系と日本測地系で、位置がかなり異なります。
ヘリコプターのGPS記録の経緯度数値はどちらなのか、実際にその位置を地図に当てはめてみるまでわかりません。地図に経度線と緯度線を書き込んで調べると、世界測地系では「現場状況と全く合わず」、日本測地系で「現場と矛盾がなく」一致しました。
この結果を確認し、捜索したルートを重ね合わせ、そして「なぜそこに至ったのか」を推察することができます。
県警では、遭難者が辿ったであろうルートについて、「遺留物件等が見つかっていない」「枝折れや踏み分け後などがない」ことから「不明」とのことでした。
行方不明者遭難ルートの推察
これはあくまでも仮定と推察ですが、山の様子、沢のつくり(傾斜や小滝の有無、植生など)、当日の天気、家族から聞いた遭難者の性格、遭難者が経験している平場ルート等々を考え、さらに、発見に至ったご家族が辿ったルートを考えると以下のような経緯を経た結果ではないかと考えます。
すなわち、
①雨の中、山菜を採りに行こうと車を出た。
②お父さんが戻るまでには帰ろうと「あまり遠くには行かない」。
③雨の中で限られた時間内の行動上、歩きにくい場所、知らない場所は避ける。
④したがって、過去何十回と通い慣れた平場への道を辿った。
⑤平場まで行き周辺で山菜を採り(あるいは探し)、夢中になるか「もっと上の方に行けば採れる」等の考えで思った以上に行動(移動)してしまう。
⑥気がつくと、よく知っている平場と様子が違い、また戻らなければならないと時間を気にする。
⑦さらに雨で見通しが悪く、例年下る道へと思いながら東方向にずれて移動してしまう。
⑧道がわからなくなり焦る。
⑨とにかく沢に沿って下れば「駐車場に戻る道に出るだろう」と歩くが道らしきものが現れない。
⑩雨だけでなく汗で身体を濡らし、それがもとで体温が奪われ続ける。
発見されたとき、沢の水に浸からない場所で、雨具を巻きつけるようにしてうずくまっていたとのこと。
多分こうした流れで、道迷いの不安と焦りの中、道を探しながら下り続けたが、体力を消耗し、体温を奪われ、疲労凍死に至ったのだと思います。
捜索ルートに入らなかった理由
多くの警察、消防、そして家族と知人による8日にも及ぶ捜索で、この沢は捜索範囲から外れていました。なぜ外れていたのでしょうか。
それは多分、「雨の中、駐車場からこの沢(経験のない知らない沢)まで歩いてきて、さらに沢を登っていくわけがない」というものだったと思います。あくまでも、雨の当日「行動可能な範囲」「行動の考えられるルート」をもとにして探すのが当然だからです。
そして、「平場」から前記のように別の沢に入り込むような遭難仮定を誰も推測、推理できなかったからだと思います。
そいう私も、29日午前中の捜索で二股のL地点まで行き、「雨の中、この先を登ることはありえない」という判断で戻ったのです。
「山の上部から下ってくるかも知れない沢の一つ」とは全く考え及びませんでした。
今回の発見とルートの推察で、「このような例」のあることを知ることができました。
今後に活かせればと思います。
それにしても…
前にお話した、地元の占い師か霊能者の方が、「知らない沢」「地図上のこことここの間」という指摘に合う範囲の中の発見になりました。
偶然なのか、それとも…。
山の行方不明者捜索 山形Ⅹ
捜索2日目 29日(5)
ご家族のいる遭難者発見現場へ向かったにもかかわらず、沢の二股の先どちらがその場所につながるかの情報を得ておらず、さらに地図の位置と地勢関係を勘違いし、その上遭難者が下流から上流に辿るであろう道を意識しすぎ、発見現場へ至る前にヘリの救助(遺体回収)作業が始まることになりまし。
そして、ヘリから下降した救助隊員が行方不明者のご遺体らしきものを小尾根越しにホイストアップされるのを見ました。
遺体を安置し、一夜を過ごすかも知れないという私の心配は無用になりました。
私の居る場所はどこなのか…。
結果は、以下のとおりです。
大きな勘違い その原因
29日の午前中に同じ沢の二股までチャンスと捜索に入りましたが、そのとき、地図と周りの地勢、そしてコンパスで 調べたとき上記地図の「二股と思い込んだ」位置でした。この思いがそのまま勘違いの原因につながります。
地図上の「思い込み二股」から南側の沢を登っていると考え、ヘリが到着したとき「Wm」付近にいると思い、ヘリは南の「Hm」あたりをホバリングしていると思い込んでいました。しかも、発見現場に向かう際、慌てて地図をもつのを忘れていたので、午前中の思い込みだけで「確認する」手段を持っていませんでした。
それで、遺体回収の作業を見ながら「なぜあそこなのだろう・・・」と不思議に感じていました。あとで、地図と行方不明者発見位置を確認したとき、その位置関係は「Wt」と「Ht」というものでした。
この「大きな勘違い」を初めて知ったとき、「みっともなく疲れるバカ」をやった自分を恥じました。
警察の現場確認 そして下山
下の駐車場から、私のアマ無線を通じ、県警の方から「ヘリが遺体を回収し、5人の隊員が現場検証に入ったのでお戻りください」旨伝えられ、「では、二股まで戻ったのち合流して戻ります」旨伝え、下り始めました。
二股でしばらく待っていると、左(東)の沢から警察隊員が下ってきました。そして、辛い気持ちを抑えた旦那さんと息子さんも。
発見できたことは良かったけれど、ご遺体との対面はとても辛く悲しい出来事だったに違いありません。
沈痛な面持ちで、皆黙々と下っていきますが、それでも、長くかかった捜索がようやく終了したという安堵のようなものも感じました。
駐車場に戻り、警察関係者と挨拶を交わし、帰る準備にとりかかりました。
ご家族は、平静を装いながら明るく接してくれますが、涙を抑えた辛い気持ちが伝わってきます。
そんな中、発見に至ったときの様子も説明してくれました。
「沢筋を下りながら、こっちの方を… と気になる方向に移動しながら沢の一角に下ったとき、白いものが見え、何かと思ったらそれが母さんだった…」
「ビニールの雨合羽を巻きつけて、小さくうずくまっていました。」
「きっと、寒さをしのいでいたのだろう…」
「とても悲しく残念な結果だったけれど、お母さん戻ってもらえて本当によかった…」
「きっと、みなさんの強い気持ちに、お母さんが引き寄せてくれたんだと思います」
「このあとしばらく大変ですが、皆さんで乗り越えてください・・・」
「ほんとうにありがとうございました」
「チャンスが見つけたわけではありません、皆さんの強い気持ちが発見につながったんです」
「WKさんが来てくれたお陰で発見できました」
「WKさんが来てくれなければ… 見つからなかったと思います」
心からのお礼の言葉に恐縮しました。
確かに、ご家族まで諦めかけていた昨日、「明日も捜索するために残ります」と言ってあげれたことが、結果的に発見につながったと言えるかも知れません。
こうして遭難から9日目、行方不明者はご家族の元へ帰ることができ、長く辛かった悲劇に終止符が打たれました。
今回の捜索は、直接的な貢献にはなりませんでしたが、「結果として成果に結びつく間接的な貢献」というものを知る、貴重な経験となったことは確かです。
発見場所の位置、そこに至った経緯、臭いを捕らえられなかった原因などについてはこのあとの記事で述べたいと思います。
山の行方不明者捜索 山形Ⅸ
捜索2日目 29日(4) 発見現場へ
「WKさん、みつかりましたぁ…」
下流の林道から歩いてやってきた妹さんの震える声に、
「ほんと!」「どこで!」と慌てて聞くと、
「この下の方です・・・」
「どのあたりで!」
「この下の沢を上がったところです」
いくつかのやりとりをしながら急いで車に荷物を放り入れ、妹さんを乗せて沢の出合に向かいました。
「父と兄が見つけて…」「父は母のところに残って兄が下りてきて・・・ また母のところに戻りました」「姉が警察に向かってます」
「母はまだ生きているような肌をしていたそう…」
声をつまらせながら涙声で話してくれました。
発見できたことは「よかった」けれど、辛い現実が家族を苦しめます。
現場の沢を示されて、「えッ、この沢の上流で!」と心の中で思いました。
午前中、チャンスと二股まで入った沢だったからです。もちろん二股よりもずっと上流であることは確かです。
・・・臭いを捕らえられなかった。なぜか? それは後で検証したいと思います。
発見された沢の出合付近(ここから高度差150mほどの沢上流で発見されました)
現場への道
何をすべきか… 考えながら、沢の出合に対面する林道に車を止めました。
一番先に思い浮かべたことは、「今日は沢の中から運べないかも知れない」ということでした。時間は午後3時半を回っていたからです。時期的に日は長く、まだまだ夕闇が迫るというものではありませんでしたが、沢床からご遺体を運ぶのは無理だろうと思ったからです。
一晩過ごすかもしれないご遺体を保護できるようにシートを2枚ザックに詰め込み、ヘッドランプや発炎筒、小型ハンドスピーカーなどを用意しました。
また車載の無線機をONして操作法を妹さんに教え、時々交信をしながら沢に入ることにしました。これで、警察が来ても情報を伝達することが可能になります。
チャンスは車に乗せたまま連れて行きませんでした。15時45分車を離れて現場の沢に向かいました。二股の出合までは午前中歩いたところなので簡易にアプローチできましたが、その先に問題がありました。
二股から先、肝心の発見場所の支沢がどちらかわかりません。
2万5千分の1地図での情報は上図程度です。
そして、この選択には正直迷いました。
無線で「お兄さんから、どちら側の沢か聞いていませんか?」と妹さんに訪ねるも、「聞いてません」。涙声を抑えた妹さんが応答します。
このとき私は、5月20日の雨の降る中、遭難に至った行方不明者の足取りを強く意識していました。
それで、「雨でも行ける沢」をイメージしながら、まず右手(北側)の沢を遡ってみました。少し登ってみて、登りにくい状況になっていたので、「いやこっちじゃない・・・」と判断。
再び二股に戻り、左(南側)の沢を辿ってみました。するとまもなく小滝があり滑りやすい脇を巻く必要のあることがわかりました。「雨の中、こんな危なっかしいところを上がってはいかないだろう… 」と思いました。
「やはり北側の沢だ」と判断、再び二股に戻り、苛立つ気持ちを押し殺しながら右の支沢に入り、どんどん登って行きました。所々滑りやすく急で「こんなところを登ったのだろうか…」と疑問を持ちながらも、所々に踏み跡を発見し「ここで間違いない」と登り続けました。
無線交信しようと何度か発信しますが、応答がありません。
車載機なのでその近くに居てくれないと聞こえないのです。何度も何度も問いかけして、ようやく応答。私の位置を知らせるために一度発炎筒を焚きました。
「煙、見えますか」
「見えます」
「まだ着いてません、さらに登ります」
しかし、かなり登ってもお父さんと息子(お兄)さんの姿を発見できません。
標高635m付近、16時30分。ハンドマイクで上流に向かって「おーい」と叫んでも返事がありません。「逆の沢なのだろうか… 」確証のもてないまま標高655m付近まで息を切らせながら登り、再び「おーい」と叫びます。しかし反応がありません。
「やはりこの沢でない、ここより西の沢だ・・・」と思うようになり、沢をくだり下りはじめました。
救助ヘリの飛来
するとまもなく、上空にヘリがやってきて巡回を始めました。
ローターの爆音に混じり「木をゆすってくださ~い」とスピーカーで叫ぶ声が聞き取れました。
私は自分の位置を知らせるために、木をゆすり、発炎筒を焚き、ブルーシートを必死になって振ったりと、あらゆる行動をとりました。
下の駐車場に県警の隊員が到着し、「これからそちらに向かう」と連絡が入りました。
「ヘリは行方不明者のいる場所を確認できましたか」
「私のいる沢は小尾根を挟んだ反対側の沢です」・・・
しかし、ヘリのローター音が大きく、伝わったのか伝わっていないのかなかなかわかりにくい状態が続きました。 何度かの交信で、「ヘリに確認してみます」の返事。
こちらはアマチュア無線、警察経由でヘリへの交信と確認には時間がかかるようです。
ヘリは、私の方を気づいていたようですが、小尾根を挟んでホバリングを続け、ヘリから救助隊員がホイストを使って降下するのが見えました。
このときまで、私は自分の位置を完全に勘違いしていたのです。
捜索2日目 29日(3)
昨年5月末の山形での行方不明者捜索について、6月27日以降3ヶ月以上もお休みしたままでしたが、引き続きそのときの出来事といくつかの知見などについて再びお伝えしたいと思います。
午後の捜索 そして・・・
捜索現場の様子をもう一度地図で思い起こしてみます。
地図でもわかるとおり、さほど急峻な山ではありませんが、大きな谷間に向かって大小の支沢が注ぎ、地形は複雑に入り組んでいます。
通常、道迷いが原因の遭難の場合、ほとんど沢に向かって歩いてしまうため、その後沢周辺で動けなくなることが一般的です。
しかし、出発点の駐車場からの行動、雨の中の登降などを考えると、可能性のある沢は限られ、さらにその可能性のある部分は全て捜索済みという現実から「どうしたものか・・・」と悩むことになります。
これはあとからわかったことですが、「雨の中、遡れる沢筋は限られる」「雨の中、小滝を超えたり高巻いたり、草付の急斜面を登るわけはない」「駐車場に戻る意識があるため、遠出はしないだろう」といった考えが、遭難に至ったルートの推察の仕方を狭めてしまっていました。
何でもそうですが、結果がわかれば「なるほど」といった理由がいとも簡単につけられてしまうものです。なぜそこを調べなかったのかと、どんなに悔しい思いをしても、それは見つかって初めてわかる「理屈」であり、未来を見ることのできない私たちにとって事前の推理はとても難しいことなのです。
だがしかし、こういった遭難と発見の例をたくさん経験し、その知見を積み重ねることができれば、早期発見に結びつく「ヒント」を得ることにつながることは確かです。
もう一度、遭難行方不明事件のあった山の地形、地勢を見てみましょう。

遭難者が出発した駐車場を中心に、歩いて、登って行けそうな場所はほとんど捜索しつくされています。例年通い慣れている沢筋から平場と呼ばれる周辺は特に念入りに調べられました。
それでも見つからない「不思議さ」を引きずりながら捜索最後の機会になるであろう29日午後について、どこを捜索するかご家族と何度も話し合いました。
とても小柄な遭難者について、娘さんが身を挺して「こんな感じよりももっと小さい」と説明くださり、草間や岩間に入り込んだら隠れてしまう様子も示してくれました。

昼食をしながら話し合った結果、午後は人海捜索はしたが捜索犬として入っていない例年通っている平場へのルートを探ることにしました。そして、遭難者の旦那さんと息子さんが少し離れて周辺を捜索することになりました。
沢沿いの道を辿り、途中から急峻な斜面を尾根に向かって這い上がり、そして平場と呼ばれる(らしい)一帯に到着。

平場とはいってもイメージとは異なり、尾根斜面一帯が潅木と草に覆われ意外と視界の利かないところでした。小柄な人ならどこに潜っても見えなくなってしまうので、「もしや」という気持ちでチャンスの反応を気にしながら歩ませます。

午後の尾根上は気温も高く、犬には厳しい場所。時々大きな樹木の影で休ませ、水を補給しました。
遭難者の旦那さんと息子さんの声が時々離れた樹林の合間から聞こえていましたが、いつのまにかその声は途絶えました。下山ルートに入ったのだろうと思い、チャンスと私は平場から北西に下る尾根を辿り、尾根から西側の沢に向かうルートをとることにしました。

チャンスの反応のないまま駐車場に戻る(15:18)と、車が1台のみ残されていて誰もいませんでした。「父と息子さん、まだ戻っていないな」と思い、「娘さんたちは先に帰ったのだろう・・・」と思いました。
残念な思いを残しながら、チャンスを車に乗せ、片付けをはじめました。

すると…
かすれ、震えた娘さんの声で 「 WKさん~ みつかり ましたぁ 」
一瞬… ウソ?ホント!
複雑な感覚が肌を襲いました。
関東甲信越の山々では場所によって紅葉の見頃を迎える頃です。
今から8年前、捜索犬の試験がある北陸の会場へ向かう前日、南アルプス三峰川(みぶがわ)奥深くまでビンゴ(先代の捜索犬)を連れて写真を撮りに行ったことがありました。
最高の天気と秋色三昧の一時をどうぞ。

三峰川に行くといつも犬を登らせて写真を撮る石舞台のような岩があります。
天高く犬映える舞台かな…

冷たい清流の中で、一瞬の出来事(水芸)。

あ~いい湯だな… のような表情?

得意のレトリーブも大きな流木で。

再び、紅葉に想う?
さて、捜索犬の話をすっかりご無沙汰してしまっていますが、山の行方不明者捜索 山形の記事を覚えているでしょうか。
捜索2日目の午前中までで止まってしまっていましたが、その後の様子と結果について、近々また報告したいと思います。