捜索試験(捜索作業)
現在日本で実施されている国際救助犬試験は、平地捜索(RH-FL)、瓦礫捜索(RH-T)の2種類が一般的ですが、これ以外にも雪中捜索(RH-L)や水難救助試験(RH-W)などがあるようです。
先日見学した試験では、平地と瓦礫を行っていましたが、平地試験を受ける犬は2頭だけで早くに終わっていて見れませんでした。
瓦礫捜索も、3日ある中の28日に出場する犬しか見れませんでした。また、服従作業や熟練作業が並行して行われていたため、合間をぬって見学することになります。
瓦礫捜索は、A段階(15分内に2名を発見させる)とB段階(A段階合格犬で、今回は30分以内に4名を発見させる)が室内(擬似瓦礫)を使って行われていました。

捜索前にハンドラーへ捜索現場や作業に関する説明が審査員からありますが、その間、犬は待機しています。

室内の捜索現場は、机やイスが散乱し、たくさんある部屋の中のどこかに擬似遭難者が潜んでいます。

今回の設定では、ハンドラーが移動できる範囲は廊下だけで、また廊下の途中から先へハンドラーは入れないようになっていました。比較的広い捜索エリアを犬は自主的に探さなければなりません。さらに、ハンドラーは廊下を1往復しか移動できないという制限も設けられていました。

室内に犬が入ると、入り口から様子を見るしかありませんが、別部屋にもつながっていて、犬の動きを全て見ることはできなくなります。

発見と思われる咆哮があったとき、審査員にその旨を伝え、許可を得てその場所まで入ることができます。上のシェパードは、入り口から3部屋奥のロッカーに潜んだ擬似遭難者を探し出し、咆哮しているところです。

待機中のマリノア。ハンドラーの指示を待っています。

B段階の捜索を開始するマリノア。今回、建物の中に入れて捜索する前に、入り口から10mほど離れたところから犬を出し、両側に発炎筒の焚かれた間を通過させ、捜索意欲や集中力の確認が行われていました。
見学できた捜索作業はビデオを回していたため、あまり多くの写真を収められませんでしたが、犬の作業の様子やハンドラーの状況判断や指示等の良し悪しなど、見学ゆえに勉強できる場面がたくさんありました。
室内捜索は、臭いがこもったり、複雑な対流などで犬もハンドラーもそれらに十分慣れていないと見た目以上に難しい作業です。
そういう捜索作業の中、ビデオ撮影は難しいと思っていたところ、審査員から捜索作業を邪魔しない限り一緒に中に入ってかまわないと言われ、さらに多くの見学者OKとのことで、かなりじっくり犬の動き等をみることができました。
上のマリノアは、30分間という犬にとって長い時間、捜索意欲が衰えず、坦々と作業を続け、4人の擬似遭難者を発見しました。
たくさんの人の臭いが渦巻き、あちこちに分散しているにもかかわらず、探せる犬は「見えない擬似遭難者の臭い」を追い続け、発見に至ります。
毎度のことですが… 犬はいったい、これほどたくんさんの臭いの渦巻く中から、どのようにして擬似遭難者の臭いを「区別」「選別」しているのでしょうか。人間側の考える理屈はあってもそれは推測に過ぎません。
聞けるものなら、犬に一番聞いてみたいところです。
作業終了ごとに審査員から丁寧な講評と結果が伝えられるので、大変勉強になる捜索救助犬試験でした。
捜索救助犬の試験 見学 END
日に日に日没が早まり、気が付けば昨日が「冬至」でした。そろそろ、冬至なので… と思っていたら、あっというまに来てしまいました。
なにしろ、この12月は「冬らしくない」暖かい日々が多く、たまに現れる寒い日(それが本来当たり前なのに・・・ )が来ると「冬を思い出す」ような天気の変化。西高東低の冬型も、ちょっと顔を出してはすぐに春や秋を思わせる移動性高気圧の気圧配置になってしまいます。
暖かいことは人間生活にとっては「楽」ですが、明確な四季があってこそ成り立っている日本の自然の営みを考えると… 不安なことばかり。
さて、そういう気になる気象現象とは別に、天体の動きだけは変わらず進んで冬至は冬至としてそれなりの姿を示してくれます。
そして、このブログを立ち上げてからちょうど1年になりました。まさに一年目の冬至です。
冬至の太陽は低く月は高い
半年前(もう半年も!)の夏至のときに半年後の夏至で、夏至の太陽が高く月が低い話をしましたが、それとちょうど逆の現象が今起こっているので、示しすことにしました。

地球が太陽の周りを1周回り(公転)一年が過ぎますが、公転の面に対して23.5度傾いているために四季がつくられることは… ご存知のとおり。
もしも、傾いていなかったら… どれほど変化のない一年になるでしょうか…。

冬の太陽が低いことは、地球と太陽の関係でよく示されるのですが、月の関係が意外と知られていません。月もほぼ公転面と並行に地球の周りを回っているので、太陽と反対側に来たとき(満月)は逆に高い位置に見えます。
ただ、月は約27日で地球を一周するために、冬至だから、夏至だからと同じ位置にはいません。
今年の冬至(21日)の月は、地球がこれから進む公転軌道のすぐ近くを太陽方向(新月)に向かって移動しているところでした。そのため、真夜中過ぎに、東の地平線から顔を出す形になっています。
冬至よりも2日前(12月19日)が月齢21.4で、月出(19日)の23時54分となっていて「上弦の月」だったようです。上弦の月の位置は、地球がその月に向かって進む位置(公転軌道上)です。
月が通った場所をその少しあとに地球が通る… なにか、宇宙空間的ロマンを感じてしまうのは、考え過ぎ…でしょうか。

冬至は、一年で昼の時間が一番短い日です。
これから、日一日と陽が伸びていきますが、冬本番はこれから。雪山もこれから。そして雪崩もこれから急激に増えていきます。
そして、雪崩事故を防止するための講習会準備が始まっています。
29日から雪中捜索訓練も始めます。
2年目のブログに、またいろいろと綴っていきたいと思います。
熟練作業
「熟練作業?」と言われて… 「なんだろう?」と思うのが一般の感覚でしょう。
この名前が的確かどうかは別にして、「捜索救助犬として作業するときに必要な稟性(ひんせい)とコントロール性をみる試験」と言えばわかりやすいかも知れません。
稟性(ひんせい)とは持って生まれた性質、天性といわれるものですが、犬によってその強弱があります。しかし、訓練を通じて「苦手なものを克服」できる犬も多くいます。
もちろん苦手なものをそのままにしていては、捜索中に起こり得るいろいろな障害や不安材料に太刀打ちできずに、捜索作業を遂行できなくなる恐れがあります。
それらを、現場を模した捜索訓練の場で強化していくことは重要で当然のことですが、試験の場で客観的に評価するためには簡略化した試験道具というものが必要になります。それが「熟練作業」と呼ばれる中の課目です。

ハンドラーの指示で、水平の板の上(やや不安定状態)に飛び乗り、途中で立ち止まらせ、その後ハンドラーと一緒に移動して地上に降り、ハンドラーの左横に座らせます(脚側停座)。


ハンドラーの指示で、シーソーに登らせ途中で立ち止まりますが、犬が自分でシーソーを下ろして止まるのが理想です。立ち止まった位置からハンドラーとともに降りて、脚側停座させます。


ハンドラーの指示で水平に置いたハシゴ上の上を歩かせます。登ったら、ハンドラーとともに末端まで歩かせ、抱きかかえて降ろし、脚側停座させます。
犬は、後脚の使い方が猫のように器用ではありませんが、これも丁寧な訓練の積み重ねで、出来なかったものができるようになる一例です。もちろん、スタスタといとも簡単にやってのけてしまうような、天性をもった犬も時々見られますが…。

ハンドラーの指示で、トンネルを通過させ、出口の先で伏せさせたり、立ち止まらせたりさせる課目です。犬がいる位置にハンドラーが移動し、脚側停座。

幅 1.5mの幅跳び。ハンドラーの指示で「跳べ!」、跳んだら「マテ!」、そして犬のもとにハンドラーが移動して脚側停座。
1.5mという幅と、30cmほどの高さの障害物をすぐ近くで見ると、けっこうな大きさですが、訓練を施した中型犬以上の犬にとっては「難なく」跳べる幅とも言えます。犬の運動能力は、一般の人が思っているよりもはるかに「大きな動作」をやってくれる力を持っています。


足場の悪い上をハンドラーとともに歩かせます。犬が足場を考えながらも脚側行進する意識を守ります。瓦礫様の場所を通過し、Uターンして再び通過しますが、帰路途中、瓦礫様の上でハンドラーが立ち止まると、犬も脚側停座します(指示なし停座)。
写真に収められませんでしたが、上記の他に、遠隔操作(幅跳び写真の奥に移っているテーブル状の台を 40mほど間隔をあけて3個置き、ハンドラーの指示で犬だけを移動させ台の上に登らせる)と抱きかかえて犬を移送する課目があります。
遠隔操作は、犬がハンドラーの指示(示す手の向きと犬にかける言葉)とその動作をしっかり理解していないと難しい作業です。また、試験場環境によっては、置いた台が見にくく、犬も目標をとらえられず、指示を感違いするなどで、思ったように犬を動かせないことも多く見られます。
犬のコントロールをどれほどうまくできるか… 犬とハンドラーの意思の疎通が問われる最大の課目かも知れません。
熟練作業は、アジリティのような障害物競走ではないので、「慌てず」「焦らず」「確実に」作業することを良しとします。慎重さを忘れずに、しかし物怖じせずに堂々と、さらにテキパキできれば評価は高まります。
そしてそれは、足場の悪い現場あるいは危険な現場における捜索で、威力を発揮することにつながります。
先日、箱根町湯本で行われた「国際救助犬試験」(11月28~30日)の見学に行ってきました。
「捜索犬」と普段私が使っている犬名は、世間一般には「救助犬」と呼ばれています。
その救助犬を認定(「この犬は災害や山野で行方不明になった人を捜索する作業能力がある」と認めること)する審査会があり、審査会で認定されて初めて社会的に認められた救助犬として活動するのが一般的です。
しかし、日本国内にはいくつもの「救助犬団体」が存在していて、比較的大きな組織がそれぞれに独自の審査会を行い、統一された「基準」や「規定」というようなものがありません。そして、そのレベルにも差のあることが否めません。
今回、見学した「国際救助犬試験」は、「認定」とは少し違う趣旨で実施されていますが、目標とする作業を一定レベル以上できたかどうかを国際的な基準で採点するもので、その合格レベルは、実際の現場に出動するために必要な作業とその向上を目指したもの、ということは確かです。
見学し、「うらやましくなるような作業」あるいは「うまくできなかった作業」等々、良かった点、うまくできなかった点を見て、自分たちの一つの模範と意識することは大事でとても勉強になります。
「あのようになりたい」という場合は、その作業内容へ向けたイメージづくりと強化すべき訓練考察、「あのような失敗をしたくない」と思う場合は、その原因分析と強化したり直したりする訓練の考察等々… 多くの知見が得られます。
服従作業
日本語の「服従」という言葉は、強制的に従わせるといったイメージが強いのですが、犬を指導する人「ハンドラー」の指示(例えば、座れ、待て、来いなどの命令語)を犬が理解し、その行動(作業)をさせることを服従と言っています。
犬がハンドラーとともに「嬉々として」指示通り行動することが本来の服従で、「仕方なく」「無理やり」といったイメージを与える動きの場合は評価が下がります。
それでも、人間社会の基準や価値観に合わせるため、どうしても「良い形」「乱れのない形」が理想の形、行動として評価の頂点に位置づけられるのは、仕方のないことなのかも知れません。

「脚側行進の中の速歩」 ハンドラーの左についてハンドラーの歩速に合わせて二人三脚のように付いていきます。ハンドラーと犬の絆の強さを感じさせる課目の一つです。

一見「伏せ」のようですが、実は「匍匐(ほふく)」をしています。救助犬が匍匐をしなければならない現場はあるかも知れませんが、「ハンドラーと一緒に匍匐する必要がなぜあるの?」という素朴な疑問が生じますが、スイスを含めヨーロッパの経験豊かな救助犬関係者が取り入れた課目であることを考えると… 現場に通じるあるいは役立つ何かがあるのでしょう。

「群集内行進」 人や他犬が動き回る中を、犬はリードなしでハンドラーの横について歩きます。他人の動きに気を取られず、他の犬を無視しなければなりません。途中に騒音なども入ります。

群集内でハンドラーが立ち止まったら、犬は指示されなくても左横に座らなくてはいけません。「指示なし停座」と呼ばれる行動で、これも訓練でできるようになりますが「騒々しい群集内で」できなければなりません。うまく座らないときは… 減点覚悟で「スワレ」と小声で・・・。

「物品持来(じらい)」をさせるために、持ってこさせるものを犬の前方に放り投げたところです。犬は指示があるまで待っていなければなりません。「持ってコイ」の命令で投げた物品を口に銜えてハンドラーの正面まで持ってきます。離れたところにシェパードが伏せた状態(休止)でいますが、この服従作業は犬とハンドラー2組が交互に行い、一方の服従作業中、もう一方の犬は「休止」させることになっています。

2組の服従作業が終了すると、審査員が各作業の講評を行い、各課目の状態とその評価、そして最後に得点を発表します。国際救助犬試験では、服従科目50点満点で35点以上合格となっています。
犬の試験や競技は…
「聞く」と「見る」とじゃ大違い、そして「見る」と「出る」とじゃ大違いの世界です。
見学する側は気持ちも楽で、他の犬やハンドラーを冷静に見ることができますが、いざ自分が犬を動かすとなると… なかなか大変…。
それは「試験」「競技」という本番における「心理」の強弱が大きく影響し、犬にまで伝わってしまうことがあるからです。
見学(というより見物?)する気持ちで犬を扱うことができたら… どんなにか楽なことでしょう…。
八紘嶺方面行方不明者捜索 5日目(一年目の捜索3)
2008年10月29日(3)
ワサビ沢の頭(1611m)からバラの段(1647.5m)を経て安倍峠へつながる道の中で、最後の1620数mの東西に長く伸びたピークまでは明瞭で、多少暗くなっていたとしても道を誤るというような場所は見当たりませんでした。
しかし、最後のピークから道が急激に右に曲がる(下る)地点は、地図を見ていて気になるポイントの一つでした。案の定、その地点に立ってみると、山慣れていなかったり、薄暗かったりすればその場所に気づかず、まっすぐに進んでしまうだろう… という場所でした。
しかも、ここには道標がありません。山慣れて、道の辿り方を熟知している方は問題ないのですが、道迷いの典型的「キッカケ」になる要素を含んだ場所であることがわかります。
安倍峠に下降する屈曲点にて(12:36)。道は右斜面に向かっていますが、尾根上前方にも道らしい踏み跡が続いていました。薄暗い状態であれば間違ってもおかしくない場所です。
奥大光山から安倍峠に戻る過程で迷う可能の高い所として、この尾根上を直進し、道迷いした時の登山者心理を推測しながら進むことにしました。
分岐点からしばらくは一見登山道のような踏み跡が続きます。
踏み跡は次第に不明瞭になり、尾根らしさはなくなって笹薮と樹木の混生した広々とした場に変わってしまいます。木の葉の落ちた樹木の間から山影が見え隠れしますが、山を特定できる状態ではなく、コンパスを用いなければ自分がどこのあたりにいるのか、どの方向に下っているのかわからなくなってしまいます。
地図とコンパスで方向を確認し、歩いてきた方向と下るべき方向を探します。高度計の表示も参考にして自分の位置をだいたい読み取ります。
方向とだいたいの目的地を特定しながら尾根部を下降すると、八紘嶺に続く山斜面が現れ、現在地がより明確にわかるようになりました。
この辺りまでの歩みの中で、「もし迷っていたら…」という仮定で遭難者心理を推理してみました。多分… 「安倍峠の方向は尾根の右側」という「意識」を持ちながら下るでしょう。そして、それらしい下降ルートを選びました。
通常、疲労困憊してくると無意識的に沢(楽な方向)に下ることが多いと前にお伝えしましたが、そんな状況の一つを考え、下降できそうな斜面凹部を地図で確認し立ち入りました。
ただし、あまり山慣れていないご家族をあとから歩かせることを考え、地図で傾斜の具合を読み取り、さらに下るときの危険を回避しやすく手掛かりの多い笹薮の濃い部分を選び、下降し始めました。
それでも… 山慣れていない方が実際に下るときは「多少の苦労」が伴います。
何か臭い反応はないか、気をつけながら下っていきました。浅い沢状の凹状斜面の中には、古い倒木も時々現れます。
ようやく、急な笹の斜面をくだり、安倍峠を結ぶ登山道近くに着きました。
ここからは安倍川支流沿いの歩きやすい登山道を経て、林道へ出ます。途中には動物が体を泥水にこすり付けるヌタ場と呼ばれるものがいくつか見られました。この辺りは、クマが時々水を飲みにくると静岡市岳連のKさんからあとで聞きました。
今回の捜索で、遺品や手掛かりに結びつくものは何も見つかりませんでした。
今回歩いたルートを遭難者が「歩いた」とも「歩いていない」とも言い切る証拠は何もありません。
それでも、多分この捜索ルート近くには迷い込んでいなかっただろう… という気がしています。
多くの推理推測仮定の中から、延べ5日間に渡る捜索行動も、遭難者が関与したエリアが「あったのか」「なかったのか」もわかりません。
遭難者の「事前予定ルート(登山計画)」やご家族への「伝言」が残されておらず、遭難者を「何時ごろ何処で見た」という登山者情報もない中での捜索の多くは、自然の広大さ、険悪さが現実に立ちはだかり、それに打ち勝つ手段がなく… 捜索を終えなければなりません。
ご家族と何度も会い、「どうして」「何故」「何処へ」という疑問を語らい、「何も言わず」「何にも残さず」消えてしまった行方不明者の行動に悔しさをぶつけるしかなくなります。
今回のような捜索行動をご家族自ら共にしたことは、「あまりに深い山」という現実、そして「その山のどこかに迷い込んでしまった」という事実、大変多くの人が捜索に関わっていても見つからない結果を肌身で感じ、「もしかして」「今度こそ」という気持ちに一つの区切りをつけることになったこと… それは確かです。
昨年12月に捜索をご一緒された静岡市岳連のKさんは、11月に入って山伏(やんぶし)から安倍川に下る「西日影沢」を捜索されています →山伏 西日影沢を捜索。
まだ完全に諦めるわけにはいかない… その気持ちは大切です。
継続的あるいは断続的な捜索を続けても、広大なエリアの山中で発見に至ることは稀ですが、1年2ヶ月ぶりに偶然発見された(遺品と骨の一部)という例がありました →遭難から14ヶ月。
この捜索にはチャンスと延べ6日関わりました。発見に至った例として、また推理推測と捜索エリア、遭難者の辿ったルートなどを検証する例として、機会を見てまた報告したいと思っています。
八紘嶺方面行方不明者捜索 END
八紘嶺方面行方不明者捜索 5日目(一年後の捜索2)
2008年10月29日(2)
推理推測仮定再び
八紘嶺方面に入山して行方不明となり、その後多く行われた捜索にもかかわらず、発見されず何の手がかりも無いまま一年近くが経ってしまいましたが、ご家族関係者にとって諦められない、そして納得できない気持ちが続きます。
このような辛く不安定な気持ちのご家族と今までに何度となく接し、「もしかしたら」という切実な願いをその都度痛く感じてきました。そしてその気持ちを少しでもやわらげられるお手伝いができれば… そして「もしかしたら」という希望を捨てることなく一年後の捜索を行いました。
ご家族から「この辺りを調べてみたい」という希望を聞き、そのエリアで「遭難に至るとしたら…」という推理推測そして仮定して捜索ルートを考えます。
今回ご家族から提案のあった根拠は、安倍峠に車が置きっぱなしになっていた事実から、「八紘嶺から戻ったあとに奥大光山(おくおおっぴかり山)に入ったような気がする」「安倍峠に戻る道で迷った、あるいは安倍の大滝に下る道に入ったのでは…」というものでした。
奥大光山まで行って遅くなり、大滝への下山路を選んだという推理は可能で、できれば全てを調べてあげたい気持ちもあります。しかし、現実的に可能な行動エリアは限られます。
さらに今回は、山慣れていないご家族同伴での行動となるために、「奥大光山から安倍峠に戻ろうとした中で道迷いした」という仮定で捜索を行うことにしました。
見にくいですが、上図右下の 1540m鞍部のすぐ南のピーク(安倍の大滝近くへ続く道がある)が奥大光山(1620m)です。安倍峠から続く安倍川東の山稜を形成しています。
安倍峠への林道途中、2万5千分の1地図上サカサ川の「川」付近から1611mピーク(ワサビ沢の頭)に続く尾根を登り(何らかのきっかけで道迷い下降した「かもしれない」ルートの一つとして)、稜線上を1647mピーク~その西のピークまで辿り、「安倍峠への屈曲点を見誤り道迷いした」という仮定で進みました。
取り付きの尾根末端はかなりの傾斜で突き上げています。川縁から登れそうなところを探して取り付きました(7:37)。
獣道らしき踏み跡と安定性のある部分を選びながら急登して行きます。
樹木の合間を選び、ブッシュを漕ぎ、生い茂る深いクマザサ帯を掻き分けて進みます。
深い藪も時々晴れて、美しい紅葉が疲れを癒してくれます。
笹藪も深い浅いがあり、尾根中心付近には所々獣道が走っています。木々は紅葉に染まっていました。
しかし… クマが出没していることが確かなエリアです。鈴を付けたチャンスに所々探らせながら進みました。
尾根上部は丈の低い笹斜面になりましたが、遺物等があっても隠れて見えない状態です。
奥大光山方面の様子。
1611mピーク「ワサビ沢の頭」に到着(10:39~11:01)。ようやく東側の風景と富士山が姿を現しました。
稜線上の道は明瞭で、今登ってきた尾根に誤って入るということはなさそうだ、ということが分かりました。
1647.5mピークに手前(1610m)ピーク(12:50~12:13)から八紘嶺方面。
時々現れる枯樹が形作る奇異な風景。
三角点のある1647.5mピーク「バラの段」(12:21~12:25)
バラの段標識と三角点
バラの段から見た八紘嶺
八紘嶺から七面山に続く尾根と笊ヶ岳。
昨年の12月16日に歩いた尾根…
そして、「探せていない」広大なエリアが無限に近く広がっています。
2007年12月16日 その5
七面山へ
八紘嶺から七面山へのルートもようやく後半にかかりました。チャンスの動きには一見疲れを感じさせませんが、前半にくらべれば鈍ってきている気がします。
ここまで来れば道を間違えるというよりも疲労で動けなくなった等の遭難が起こりそうです。ルート周辺に気を配りながら移動して行きました。

1964mピーク尾根の北側の鞍部から落ち込む谷の一角をチェック。

1980mピークの手前に道を横切るような比較的広い鞍部があり、西側の谷に向かって道があるように錯覚しますが、踏み跡はなく間違えて踏み込むようなものではありませんでした。
どこかに… 手がかりになる物はないだろうか… 願うばかりです。

鞍部からほどなく「希望峰」と記された1980mピークに出ました(13:58~14:37)。

希望峰から見る上河内岳(左)と聖岳(右)。
今までの疲れを吹き飛ばすような展望が開けました。南アルプス前衛の山々(山伏から笊ヶ岳)の向こうに雪で白くなった主稜線の山々が姿を現しました。

前衛の布引岳~笊ヶ岳と雪で白く輝く悪沢岳(左)と塩見岳(右)

正面の聖岳はもちろん、南の光岳(てかりだけ)や大無間、また北方の北岳の一部も見えました。アルプスの展望で疲れを癒し最後のピーク七面山に向かいます。

七面山(14:57~15:03)は広場のようなところで、ここまで来ると表参道からの登山者も多いため道もよく整備されています。遭難する可能性のあるエリアはほぼ終了となり、長い下山に向けて歩み始めます。

七面山の下降路から斜陽の富士山。

七面山の東のヘリは大きく崩れた谷に突き出して、奈落の底を覗くような場所があります。ヘリの木立も崩れる谷に落ちる運命…。

身延山の別院(敬慎院)を過ぎ、表参道の下りが始まります。日没を過ぎ、途中からライトを照らしながら、標高差1200mもある道をひたすら下ります。途中に小さな卍があり、それだけが頼りのキツイ終盤路でした。

ようやく下の駐車場(表参道登山口)に着きました(18:07)。朝、市岳連の方が安倍峠の登山口から運んでくれた車が駐車場に置いてありました。感謝感謝。
チャンスもこれだけ登り下りしながら長い距離を歩き続けたのは初めてです。相当に疲れているでしょう。安倍峠の登山口を出発してから、休息を含めて11時間を越える道のりでした。
しかし… 遭難者の手がかりは結局なにも見つかりませんでした。
一番つらいことは、ご家族への報告です。
一途の望みも… 再び振出しに。
山は雪に覆われ雪解け以降まで捜索は叶いません。
大きな疲労感、そして痛い足腰にムチ打ちながら、富士川沿いの道を南下し帰路につきました。
2007年12月16日 その4
八紘嶺から七面山ルートへ
行方不明者が遭難当時、山伏(やんぶし)~大谷嶺方面に入ったあと安倍峠に戻るため復路に到着した八紘嶺から、安倍峠への来た道を誤り(勘違いし)、七面山への道に入ってしまった… と想定したルートに入りました。
八紘嶺山頂から北北東に続く七面山への尾根道は、しっかりと明瞭についていて「七面山」という道標が目にとまらない限り、なかなか「おかしい?」とは思えないかも知れません。

めったに登山者が入らないルートらしく、途中で見かけた標識は古いものでした。

八紘嶺から100mくらい下降してやや緩やかな尾根道になり、後方(南)に先ほどの山頂を見るようになります。明るく天気が良いときであれば、こういった周囲の山の様子で道が正しいか判断できますが、夕刻の薄暗い中では足元の道付近しか見えないでしょう。

標高1800m付近の鞍部西側斜面をチャンスが気にして下降し、探し回る行動をし、しばらく様子を見ました。しかし、途中から反応が不明確になり戻りました。
進行方向右側(東側)斜面を気にしながら移動しましたが、冬型の気圧配置で風向きは西→東となっていて、遭難者が下降した「かも知れない」東側からの臭いは流れてきません。

尾根上の登山道から右側に間違えそうな踏跡(獣道)がないか、チェックしながら、広い尾根部分では登山道から外れて笹薮の中を進みました。クマの縄張り表示(爪痕)がありました。
1864mピークまでにこの登山道が「七面山へ至る」ルートであることがわかるものがいくつかありました。そこでまた「推論」が働きます。
① 暗い中、ヘッドランプ等の明りだけで「安倍峠・梅ケ島」への道と信じて「おかしい」と感じて東斜面に向けて入ってしまった。
② 七面山への道と気づいて戻ろうとしたが戻るときに獣道等に入り込んだ。
③ 七面山への道と気づいてそのまま「寺院のある」七面山へ向かった(長い距離を近いと錯覚して)。向かう途中に道迷いしてしまった。
④ 登山道のどこかでクマに遭遇し、逃げるときに道から逸脱してどこかに落ちた(あるいは襲われたり負傷してしまった)。
こうした推理、推論で「かもしれない」可能性のエリアを探りながら進んで行きました。

1964mピークに向かう途中、南東面が広く、一部凹地になっているところを迂回するように、東側をチェックしながら歩みました。

途中から針葉樹帯となり、道無き樹林帯からピークに向かいました。

登り着いた1964mピーク(12:07~12:40)。大きな山頂ですが残念ながら樹木に覆われ、展望はありません。
ようやく八紘嶺へ戻るより七面山の方が近くなりましたが、本日後半の工程がまだまだ長く続きます。