ゴールデン ビンゴの火の輪くぐり

BINGO!
ゴールデン・ビンゴ、やりました! 火の輪の中に浮いてます。
この写真、ストロボが点かず シルエットだけですが・・・。
それでは・・・
もう少し明確な写真で・・・

ビンゴにお願いしたところ、快く応じてくれたので 何度も飛んでもらいました。
ただし、これは競技会での写真ではありません。
ある場所で、密かに、チャレンジしていたときの写真です。
こうして、チャレンジして「できるようになった」ものの、競技規定からは外され、公の場で披露する機会は
結局ありませんでした。
チャンスは、火の輪くぐりのようなことはやりませんでしたが、火の点いた危険箇所を飛び越す「技」「意識」そのものは、
万一のときに役立つことがある「かも」知れません。
でも・・・ チャンスは 居ません。
JKCの家庭犬訓練競技会は、作業課目の規定が定められていて、その規定に合わせて犬を動かし(作業させ)
出来具合の得点を競い合うというものです。

当時の規定書面です。
現在と変わらないものも多いのですが、「夜の訓練競技会」にふさわしい? いや「映える」と言えそうな・・・
やてみようかと思った課目は・・・

サーカスでおなじみの 火の輪くぐり!
JKC規定では「火の輪飛び」ですが・・・
現在、この課目はなくなっていますが、チャレンジ精神旺盛だった当事のビンゴ(いや私)は、是非とも
夜の競技会でやれたらナ~と・・・
考えていました。
それで・・・
(つづく)
チャンスの生まれるずっと前、日本に災害救助犬という犬がほとんどいなかった頃、
先代の犬「ビンゴ」と訓練競技会に出ていたことがありました。
その当時、家庭犬の訓練競技会として有名なJKCの競技会の中に「夏季本部訓練競技会」というものがあり、
毎年7月下旬、明治公園(東京)を使って行われていました。
それはたいてい、梅雨明け直後の暑い最中となっていて、始まるのは夕方からで、夜遅くまで続きました。
皆、熱いアスファルト面を嫌がり、陽が沈むまでなかなか出てきませんでしたが、照明で照らされるリンクの中で行われる競技には
独特の雰囲気がありました。

表彰式は夜の9時や10時を過ぎてからでした。

陽が傾いた頃の様子はこんな感じでした。
リンクがたくさん空いたままです。 まだ、暑く&熱く・・・ 皆さん出るのをためらっていました。

それでも夜遅くまでの競技会、これから出る人、終わった人・・・
会場の片隅での飲食を交えた歓談も楽しみの一つでした。
こんな夜の競技会に「ふさわしい」?
ちょっとチャレンジしてみたい課目を思いつき、当時まじめに考えていたことがありました。
(つづく)
この10月は、やはりいまいち「秋らしく」ありません。
たしかに、高い山から、北の方から 紅葉前線が下りて来ていることは確かなのですが・・・
まだ全体「なまぬるい」感じがして、深まる秋を実感できません。
そしてまた、今年の秋は・・・
この10数年来で 一番寂しい秋 になってしまいました。

プロフィールに載せている写真です。

2005年の秋、八ヶ岳の編笠山~権現岳をバックに撮ったものです。 (リバーサルプリントからスキャナしたもの)
デジカメでも何枚か撮って・・・

一見、落ち着いて、ポーズしているように見えますが・・・
いいカットを得るために、かなり大変だったことを覚えています。
ビンゴ(右)12歳6ヶ月、チャンスはまだ3歳1ヶ月の若さでした。
あたりまえに「居た」存在
あたりまえに「暮らしていた」存在
そしてあたりまえに「あれこれやってくれた」存在
その存在の大きさには・・・ 計り知れないものがあります。
そして、寂しさと愛おしい思い・・・
時々 心の中にやってきます。
世の中、「ウソでしょ~」と思わせる場面というものに時々遭遇することがあります。
作業犬の世界でとくに警戒競技というものになじんでいる方は、犯人役を動けないよう威嚇的な咆哮(禁足咆哮)をしたり、
「動いたら襲うぞ!」「歯向かったら襲うぞ!」というような場面、そしてそれに対して果敢に飛び掛り犯人役の袖(麻で作られた袖)に
咬み付く犬の姿(襲撃)、さらにそのあとに行う犯人役を監視しながら護送する姿(側面護送や背面護送)をよく知っています。
それは「警戒競技」というスポーツ化した犬の作業の中に形づくられた「規定」に沿って、犬の技を競い合う世界の出来事です。
しかし・・・ 股間護送というのは
それらとはちょっと違う・・・ 「現実対応」のための世界のようです。
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いや~ なんか 凄いです。
チャンスのみなとまつりは、2003年(1歳)がデビュー、そして 2004年(2歳)、2005年(3歳)、2006年(4歳)、2007年(5歳)と続き
2008年だけお休み、昨年の2009年(7歳)が最後になりました。
2003年の港まつり

1歳デビューの年、ビンゴ(写真右)はまだ10歳の現役犬でした。
ビンゴが初代の脚立犬を演じていましたが、チャンスも短時間ならやっていたように思うのですが写真がありません。
見てのとおり・・・ 1歳になったばかりの青臭いチャンスでした。
当時はまだフィルムのコンパクトカメラであ、まりたくさんは収めていませんでした。
そして、2004年の港まつりは・・・ 参加者の犬は写っているのですが・・・ 何故かチャンスの写真がありません。
2005年の港まつり
この年からデジカメによる撮影で、たくさんの場面が記録されるようになりました。

3歳のチャンス、もう脚立犬として立派(?)に募金看板任務を果たしていました。

区長とのツーショットはこれが初めてだったかな。
脚立から降りて、地べたふれあい募金もやりました。
2006年の港まつり

チャンス4歳の年。 パレードの間の留守居役もこなし・・・ 余裕の脚立犬です。

たくさんの人に可愛がってもらいました。
きれいなお姉さんは好きですか?

定番の東京タワー冠撮影。
本格的な(?) この手の撮影はこの年が初めてだったか・・・。
こうして、脚立に乗ったり、たくさんの人とふれあう港まつりはチャンスにとって恒例行事の一つになっていました。
このあと、2007年、昨年(2009年)の港まつりと続きます。
そして、このおまつりが、いつもちょうどチャンスの誕生日かその前後になっていました。
こんな姿が当たり前だった チャンスのいない港まつり・・・
寂しぃぞ! チャンス!
先日(10月10日)、例年参加している港まつりの手伝いをしてきました。

この10年ほど、先代のビンゴ時代からほとんど毎年のように参加し、チャンスは2003年の1歳のとき見習い犬としてデビューしていました。
このブログでは昨年の模様(港まつりに参加)が初めてのアップでした。
しかし・・・ 今年 チャンスはいません。
「脚立犬」も・・・ いません。

他の皆さんの犬を見ながら・・・ 犬なしでのお手伝いです。
ところがこの日の終盤に・・・
70代くらいの女性お二人がやって来て
「チャンス死んじゃったんだって~ 」 「なんで死んじゃったの~」
「この3年ほど健康を崩して来れなかったんです」 「今年チャンスに会えると思って来たのに・・・」
「チャンス死んじゃったんだって~」 「すごくいい犬だったのに~」
そばにいる人にまで、「ねぇ、すごくいい犬だったでしょ~」
チャンスのことを覚えていてくれたのも嬉しいのですが、その残念そうな表情とチャンスがいない現実に「ありがとうございます」と
涙を抑えるのがやっとでした。
3年前、2007年の港まつりはデモンストレーションもあって、昨年以上にチャンスが活躍してくれたときでした。
そのときチャンスは5歳、その当時の様子はまたこのあとに・・・。
戸沢右俣は沢登りあとの下降ルートにも使える簡易な沢・・・ とはいえ、犬との遡行は決して一般的ではなく、危険な箇所がたくさん
あります。

ゴーロ帯を遡行している間は、どうということはありませんが・・・。

途中の休憩地点で、チャンスが流木を銜えてきました。まだ余裕です。
しかし、次第に沢が狭まり、小滝も現れ、登れる箇所を選びながらの遡行。

チャンスにとっては問題ない岩場ですが、慣れていない犬(人も)にとっては大変です。
ところが!
この先でアクシデント発生!
デジカメを沢に「ボッチャン!」
そして・・・ 慌てた拍子に、写真に写っているビデオカメラまで水の中へ!
あ”~~!
気分、気持ちはおもいっきり↓↓
この先の記録ができないこともさることながら・・・ 高い損失に顔面が引きつったまま。
そしてこの先、沢遡行の核心部「難儀な登攀場面」が何度も出てくるのですが・・・ 貴重な写真がありません。
実際には滝を越えるために、胴輪を付けた犬をロープで引き上げ、そしてまたハンドラーを確保しての行ったり来たりで
ヘトヘト。
そんなこんなで遡行しているうち、右俣を素直に遡上するはずが途中から支沢に入り込み、地図を確認しながらヤバく急な支尾根を
あえぎ登るという厳し~い洗礼を受けることになりました。
予定時間も大幅に遅れたため、出合の救助隊訓練に無線で我々の仲間に伝えてもらうハメに。
最後の藪漕ぎを経てやっと西日の当たる表尾根に登り上げました。
烏尾山を越えて尾根を下り無事林道に下りたときは真っ暗。
我々人間はヘトヘトでしたが、チャンスたちは・・・ 疲れ知らず(?)。
このときの遡行ルートは、下記のとおり。

予定ルート(右俣)の一角で支沢に入り込んでしまい、途中で「おかしい」と気づいて地図を見ながら急な支尾根に取り付いて
主稜線を目指しました。
沢登りでは時々起す「間違い」をしっかり実体験した、チャンス4歳のときの出来事でした。
戸沢出合で夜を明かした翌日15日も晴天に恵まれました。

捜索救助隊によるシュミレーション訓練はすでに始まっていました。
設定では、源次郎沢の途中で遭難した行方不明者を発見し、救助救出するというものです。

救助隊本部では、捜索隊から無線通信で送られてくるGPSデータを地図上に記載し、捜索隊の位置確認をしながら
状況把握を行っていました。
しばらくその様子を見学した後、戸沢の遡行に向けて準備。

朝は眠い・・・?
支度を整えていざ出発。
この日の予定は、戸沢右俣を遡行して丹沢表尾根に上がり、烏尾尾根を下降するというものでした。
メンバーは、チャンスを含む犬3頭、ハンドラー3名です。

戸沢下流の堰堤を左岸から高巻き、その上流で一休み。

戸沢本流のゴーロ帯を遡行して行きます。
チャンスはもちろん、犬たちは興奮ぎみです。
チャンス4歳のときの沢遡行(つづく)
チャンスが4歳になったばかりの 2006年10月14日、丹沢水無川近くにある山岳スポーツセンターで行われた山岳救助隊研修会に招かれたことがありました。
その前年の2005年7月に、北岳大樺沢での雪崩事故捜索でチャンスが多少なりとも貢献できたことや、1月の谷川岳雪崩講習会で
捜索デモをして山岳連盟の会報に「犬による捜索」を特集してもらったりしたことがキッカケでした。
スポーツセンター内では、犬による捜索がどのように行われるか、犬はどのようにして探すのかなどを講義させてもらいました。
その後、センター近くの山斜面を使って簡易な捜索デモも行いました。


臭いがどのようにして移動するか、犬がそれをどのようにして探り当てるのか・・・ といった説明も。
デモ中のチャンスは残念ながら写っていませんが・・・。
講習が終わって・・・


こんなふうにして犬を上げ降ろすこともできるんです・・・ なんて。
山岳センターでの研修会を終えて、水無川林道戸沢出合の駐車場にて車中泊。
翌日の戸沢遡行に備えました。
5月18日に7才7ヶ月で亡くなったチャンス、10月は彼の誕生の月。
8年前の2002年10月10日に誕生しました。
「経験できたこと」「楽しめたこと」は、多分世の犬の中でも群を抜いていたと思うし、充実した生き様だったと思います。
しかしそれでも・・・ 短すぎる一生でした。
先代の犬ビンゴが、自然の摂理に沿うように13歳10ヶ月をまっとうできたことを思うと、やはり不憫な思いがいつまでも残ります。
そんな気持ちを込めて、これからもチャンスの記憶、記録をこのブログの中に残し続けたいと思います。



チャンスにはこれからもちょくちょく登場してもらうヨ。
チャンス君、画面の中で たくさんたくさん 生き続けてくださいね!