私たちが南三陸町志津川地区で捜索に携わっていたとき、そこに近い登米(とめ)というところに海外から救援にきたドイツ、スイス、オーストラリア、
ニュージーランドの捜索犬チームが滞在していました。
海外からの捜索犬が登米に入ったという情報は、モバイルパソコンによってアプローチの段階で知っていました。
が、私たちより被災地に近くに早くに到着しているので、すでにそれぞれ活動に入っているものと思っていました。
しかし、その動きについては 20日のテレビ東京の番組(池上彰の緊急報告)を見て初めて知りました。
海外チームは、福島の原発事故の情報を得て足止めをされていたのです。
その映像は、私たちが入った志津川地区(14~15日)へスイス救助犬チームがその翌日から入ったというものです。
以下はテレビ東京で放映された スイス救助犬の活動の映像の一部を写真として拝借したものです。

他国チームが原発事故の影響を案じて現地入りしなかった後の決断です。






映像に写されているスイス隊チームの女性リーダー(リンダさん)は、6年前(2005年)の4月にスイスでお会いし現地の訓練や試験を見学、
そしてその年の9月に日本に招致して捜索犬の研修をして頂いた方でした。
私たちにとっては大先輩のスイス救助犬チームが同じ地区に入り、捜索に携わってくれたことを驚くとともに、生存者救出を目指して
はるばるやってきたけれど、あまりに悲惨な現場を目の前にして生死を問わず捜索してくれた姿勢に、
感謝と敬意の気持ちを表わさずにはいられません。
まだ多くの行方不明者が津波被災地の瓦礫や土砂に埋もれたままなのです。
たとえ何万分の1のお手伝いであっても
今回の災害は情報や交通がこれだけ発達した世界(日本)で初めて起こったといえる未曾有の出来事です。
大きな津波に過去何度も襲われ、その都度たくさんの犠牲者を出し、その教訓を生かして防災強化されたという地域であっても、
町全体を根こそぎ消滅させてしまう無常の猛威。

被災地は破損した家屋瓦礫とたくさんの浮遊車が打ち上げられたまるで大きな波打ち際を思わせます。その規模は人間の感覚を遥かに
超えていました。
大異変のあとの被災地は異様に静まりかえり、地獄という現実を忘れてしまう感覚に陥ります。


しかしその中は多くの行方不明者が閉じ込められたままになっているのです。
行方不明者の数が数百、数千という中では、人を探すための手段は何であってもよい、捜索犬であろうが人であろうが関係ない、
とにかくできる限りの「力」が欲しい・・・。

それが現実の現場です。

とはいえ、大量の破壊建材瓦礫の中で、人よりも少ない労力で早くに感じてくれる犬がいれば・・・。
それに越したことはないのです。
捜索は現在も延々と続けられています。
家族にとっては、早く見つけたい、たとえ亡くなっていても早く会いたい・・・
という切実な願いでいっぱいです。
そしてそういう場面がTV取材にも出始めています。

捜索犬の目指す生存者発見という奇麗事など吹き飛んでしまうような、非情、無常の現実が今の被災地にはあります。
私たちの携わった作業は、巨人が踏み荒らした爪跡の中で数匹の蟻が捜索しただけといえる微々たるものでしかありません。
何万分の一かの「力」として手を差し出しただけです。
しかしもし、私たちのような蟻たちがこれからも手伝い続けることができれば・・・
少しは被災地の方々の力になれるように思います。
辛く悲しい捜索が各地で続いています。
探すお手伝いができる方は、可能な限りの協力をお願いしたいと思っています。
3月13日、捜索犬関係者の協力を得て捜索犬とそのハンドラー及びサポーターとともに東北方面へ向かい、14日から宮城県の
南三陸町で行方不明者の捜索に携わりました。

想像を絶する悲惨な現実が広がっていました。

倒壊家屋というより、津波で流され潰されたというような建物と膨大な木材瓦礫の山。


警察の方と協力しながらの作業です。
私たちの到着する前に、近くで一人の生存者が発見され、新たな可能性を目指して作業をしましたが・・・
残念ながら生存者確認に至りませんでした。
辛く悲しい現実・・・
それは、生死の有無にかかわらず、確認できても人の力だけでは掘り出しも引き出しもできないということ。
発見確認できても、そのまま手をつけられないという場合もあるのです。
大量の木材瓦礫、堆積物、あるいは複数の車体・・・
半端な量ではありません。
※ 前頁(ヒットの様子)は出発以前から予約投稿されていたものです。
チャンスの子犬時代にも実施していた室内障害物運動会(鉄は熱いうちに打て!)。
61日齢のヒットにも・・・
試してみました。

大好きなニンジンのおもちゃ欲しさに、怖いものなし!?

気持ちはあるんですが・・・ まだ身体機能が追いつきません。
でも・・・

へっ へっ へっ ・・・
11日の金曜午後2時46分頃、三陸沖と呼ばれる場所で大きな規模の地震が発生しました。
東京ではその少しあとにあの大きな揺れが襲いました。
震源からの距離(約350km)と地震波(S波 3~4km/s)の伝わる早さから計算すると、1分半~2分後の揺れになります。
私は東京世田谷の比較的地盤のしっかりしたところに居ましたが、あの揺れとその長さには正直「もしかしたら倒壊!」という不安と
その覚悟のようなものを感じました。
書棚からは本やファイル、そして載せてあった置物などが、ぼったぼったと落ちていきました。
それをなんとなく冷静に・・・ 見つめていた自分を覚えています。
その揺れは比較的ゆったりして大きく、「これは多分遠くで大きな地震によるものだ」と感じ、また長く続く長周期の揺れも混ざり
「首都圏の高層ビルはすごい揺れだろう」とか、コンビナートでは「出火が起こるかも」などと考えてしまいました。
そして・・・ 首都圏での被害も結構あって、さらに千葉県市原市のLPガスタンクの火災・・・。
強い揺れが収まってすぐにTVの録画スイッチをオンしました。
震源地が示され、津波注意報、そして警報に変わり・・・
あの凄い津波模様が映されたのです。
私たちはある意味、地質学的にとても穏やかな時代を過ごしすぎたようです。
6年3ヶ月ほど前のインド洋スマトラ沖の地震津波の映像を見て、津波というのはあのようなものなのだと実感し、その破壊パワーを
まざまさと見せ付けられましたが、あのようなことが実は日本の過去に幾度となく繰り返されていたということを多くの国民は忘れています。
現在のように、情報が早く伝わり、避難に向けた報道がされるようになっているにも係わらず・・・
今回も、「自分だけは大丈夫」とか「まさか」と思っていた人が多かったのではと思います。
もちろんそれ以上に、過去に何度も大きな津波被害のあった太平洋沿岸地域で、現在のように広がった街づくりそのものが一番の問題・・・
と言えそうなのですが・・・。
大きな災害のときは、現地情報がなかなか伝わってきません。
しかし今日(12日)、津波の警報が解除され、実際の被害が伝わってくると大変多くの行方不明者や犠牲者の実態が明らかになってくると思われます。
捜索犬のチャンスを亡くして「捜索できる犬」がいない私は、行方不明者を探すお手伝いをすることができないという
歯がゆい思いで一杯なのですが・・・
各地の捜索犬たちがたくさん活動してくれるはずです。
一人でも多く!
できるだけ早く!
お役に立てられることを祈っています。
ゴールデンの子犬の様子を見させてもらっていましたが・・・
チャンスの後継犬として・・・
やってくれそうな子をもらうことにしました。
3月4日 引き取りの日
生後60日の3月4日、引き取りに行きました。

君たち、今日でお別れだね。



だいぶん・・・ ゴールデンらしくなりました。



いい子に育つんです・・・ ヨ。
2頭動き回っていると、どちらがどちらか・・・ わからなくなってしまいます。
ウチに来る子は・・・

この子ですが、もうけっこう重いです。
量ったら、6.5kgもありました。
5kgのお米より重い!

駐車場まで、バッグに入ってもらいます。

ケージを運転席後ろに置いて、時々様子を見れるようにしました。
新居(ウチ)まで 1時間弱ですが、とてもいい子にしてくいてくれました。
この子、生まれは東京の調布。
獣医さんの自宅で代々飼われているゴールデンの子犬です。
ところで、名前は・・・
ビンゴ、チャンスに続く犬、ということで・・・
ヒット です。
これから末永く、よろしくお願い致します。
13日の千畳敷は好天に向かっていました。
午前8時半頃から陽が差し、ガスも晴れてきました。
ビーコンの特性検証

ビーコンの機種特性を調べるために、深さ3mのピットを掘り出しますが・・・
大変な作業にて、また時間も限られ 2m50cmにて妥協。

雪面から50cmごとに発信ビーコンを置くための棚をつくり、真上のビーコンがどのくらいの数値を表示するか調べました。


ビーコン電波が発信される実際の深度と、受信ビーコンの表示には大きな開きがあり、ビーコンの数値表示を鵜呑みにすればなかなか
特定できないことが実感できます。
これは、同じ機種であっても差が出ます。

次は、各自のビーコンが最短(真上)数値から左右に動かして数値が変わるポイントを調べました。
やはり同じ機種であっても違いが出ました。
もちろん、異なる機種それそぞれに特徴が出ます。
自分のビーコンの特性を知り捜索時の判断に役立てることが大切です。

わかりやすい「結果」に、皆さん納得。
研修終了下山
全ての研修を終えて、下界に下りました。

ロープウェイの下駅も昨日までに降り積もった雪で「冬山らしい」景色。

昨日の積雪がまるでソフトクリームのよう・・・

下界も雪景色。
久しぶりに、帰路の長野県下、山梨県下の平野部も雪景色になっていました。
雪崩講習会研修 2011 END
2月の雪崩講習会研修の続きです。
2月12日の天気
前日の寒気の様子からも明らかな悪天が予想されていましたが・・・

12日09時の気圧配置は、冬型ではなく、強い寒気を伴った低気圧性の悪天になっています。
しかし、この気圧配置で、中央アルプスを初め中部地方は各地で雪が降っていたようです。
駒ケ岳ロープウェイ麓駅までの道路は急な積雪で除雪が間に合わず、路線バスがストップ。

夜(12日21時)になると冬型の気圧配置になってきて、中央アルプスの雪はやんできました。

12日21時(北半球500hPa)には上空寒気の谷が東に移動し、天気は回復に向かっていることがわかります。
2月13日は・・・
強い寒気の谷間の通過した13日の朝は、早朝から回復するかと思いましたが、日本海からの小さな低気圧の影響もあってか
朝8時くらいまでガスがかかっていました。

13日09時の地上天気図。 この頃、千畳敷はガスも取れて晴天になりました。

野外講習の前に、記念撮影。
このあと、ビーコンの特性を調べるために外へ出ました。
雪崩講習会研修 2011(つづく)