25日~26日と、毎年恒例にしている谷川岳周辺での雪中捜索訓練に行ってきました。

25日、朝のうちは山にかかる雲が多かったのですが
登るに従い、雲が消えていきました。
スキー場付近の積雪が約4mで、 田尻尾根の上の方は さらに多量の積雪。
尾根の肩に出る直上ルートは 大雪のためにつくられてなく、 左へ迂回。
上部で、 尾根の肩に向かってトラーバースしたら…
とんでもない アルバイトをさせられるハメに…。 迂回路よりも3倍以上時間がかかってしまいました~

ようやく尾根の上にでたはいいが… ワカンしていなくて 四苦八苦!
目に見えている 目的地に なかなかたどり着けない!
尾根の北側は ウインドクラスト状の積雪で、 だいぶんしまっていて助かりました。
ひと休みしてから
穴を掘って、 まずは 簡易訓練





ほかの犬たちは 穴の上から吠えてくれているのに
ヒットは

中に飛び込んできてしまった

近すぎて
カッコいい写真 撮れないじゃん <(`^´)>
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報道された情報と国土地理院地図とGoogl Earthから推測できること…


管理事務所から、スキー場の中を抜けて、樹林の混ざる斜面に入ったようです。

一夜のうちに大量の降雪があった山…
「 そこが樹林帯であっても、上部の山斜面に雪崩発生の危険がある場合 」
それが今回の悲惨な事故につながった…
私はそう思っています。
雪崩がいつ起きてもおかしくないような積雪斜面が、 訓練している上方にあるという…
こういう状況を 事前に知り、感じていたら…
「 こんな危険なエリアには入らない 」 という 判断がなされていたはずです。
雪崩れに対する危機意識、 それ以前の正しい知識 (経験はほとんど役立たない)を備えていたら
雪崩トランシーバー(ビーコン)やプローブなどを装備しないでの雪山安全訓練登山なんて…
ありえません。
危険な状況下、このような危険エリアに連れて行かれ、犠牲となった高校生
あまりにも 可愛そうです!
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25日~26日、谷川岳で雪崩遭難、雪山遭難者の捜索犬訓練を行ってきました。
25日は、晴天に恵まれましたが、 昨日は午前中から雪が舞う天気になりました。
午後には山を離れ東京に向かいましたが、山では徐々に降雪が強まっていったようです。
那須連山周辺での新雪もかなりの積雪となり
今日の痛ましい雪崩事故につながったことは確かです。
多量の新雪、この時期の気温(雪温としては高くなっていて新雪間の結合が早い)、
大勢で参加していた雪山登山講習(ラッセル訓練を行っていたという)のときの隊列の組み方と斜面雪面の関係、
雪崩に巻き込まれた人数の多さ等を考えると、
面発生新雪表層雪崩だったのだろうと推察されます。
雪と雪崩に対する知識は? 意識は? どうだったのか?
雪山登山で、しかも安全登山を目指す講習。
当然、雪崩トランシーバー(ビーコン)は全員つけていた…?
付けていなければならないが…
プローブ、シャベルは装備していたのだろうか?
そして それ以前の問題として、積雪の安定性は チェックされていたのだろうか?
地形判断は?
雪崩は、条件(積雪状態、地形、負荷等のキッカケ)さえ揃えば、必然的に発生するものです。
安全登山講習会という ものであったのに…
悲しく、 残念でなりません。
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ほんとうは、 ちょくちょく
やるべきなのが 訓練ですが…
たま~にしか やっていません。
でも

やる気だけは バッチリです。


よけいな臭いに惑わされる 「みちくさ」をしてしまうこともありますが
うま~く 「仕事」に誘導 復帰させます。

たのむぜ~

なんか自信をもったかのように 入り込もうとするので
後をつけましたが…

入ってからは 空回り…
明確な臭いを失った様子。

こんなときは ゆるやかに戻します。

再び来た道を戻りながら

気にする 藪に入らせますが
はっきりしません。
多分 臭跡というよりも、 臭跡から移動する 浮遊臭に惑わされているようです。

鼻あげたら、 辿れないじゃん
迷いながら 「 どこだ、どこだ!」と 探そうとする意識は強いのですが、
まだまだ あまい!
そうしているうちに

はっきりとした 臭跡を感じたようで…

一気に 突っ込んでいこうとして…
それはいいのですが
ひどい藪で…
このあとは ビデオにて。
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東日本大震災から はや6年…
あの日とあのときのことが つい先日のことのように 思い出されます


南三陸町 2011年3月14日~15日



海抜10mほどのところにあった 特養も 室内へ2mを超す海水が入り込み
多数の方々が犠牲となりました。



海から離れた町の合同庁舎も、3階まで完全に…

このときできたことは 唯一
津波で犠牲になってしまった方の 捜索と発見…
そして、 活動を阻止するかのような 福島第一原発の爆発情報…
悪夢の連続…。
翌年の2012年、 陸前高田、気仙沼、南三陸町へ 慰霊に訪れました。

陸前高田の 奇跡の一本松

現在は レプリカに置き換わっているようですが、 このときは まだ枯れた松がそのまま保存されていました。

震災遺構とするかしないかで 議論のあった 気仙沼の街中に流されてきて残った 第十八共徳丸

この後、 解体されて…
もうこの現実を 目にすることはできなくなりました。

南三陸町の防災庁舎は 保存が決まり

震災時、 大津波の海面は この庁舎の屋上の上まで到達しているのです。
現在、 周辺には 高台が造成され、 風景は この写真とは大きく変貌しています。

2012年のさんさん商店街は仮設です。
今年、 造成された高台に移設され、 ニュースで特集されているように 本格的な営業が開始されました。


今も 被災した多くの方々の
熱い思いと 努力が 続いています。
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3ヶ月ぶりの バラ模様アップです。
12月から先月まで、悪戦苦闘の剪定、誘引、薬撒き、寒肥…等々
地味(つるばら誘引は地味ではないですが)な作業を コツコツと続けて

5月の開花発表作品づくりの大半を終えました。

新芽 日々 伸長中

この冬に 時間と労力をかけて施したのが
石灰硫黄合剤の ハケによる塗布
それで 幹やその周辺が 白く汚れたようになってます。

なにしろ
昨年は 例年になく 黒点病と カイガラ虫が顕著に発生
うどん粉病も蔓延して、 桃にも影響が出て…
1月に 意を決して! 塗布開始。
全株終了するまで、 述べ 7日以上かかりました。
あとは、
石灰硫黄の効果が しっかりでてくれることを 祈るだけ…。
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さあ、帰りましょう

忘れ物ないように!
下山する前に 記念撮影

ほんとうは、 外で撮りたかったのですが ガスが多くてパッとしなかったので 室内です。

ヒットと
ロープウェイに乗って


中で 得意の 甘え ゴロ~ン
バスに乗り換えて


癒し モデル犬

帰りの車から

雪の八ヶ岳
これより前に、 もっとよく見える 位置があるのですが… 取り損なった。
上空に寒気が残っているので
晴れてはいても、 全体に雲が多いです。

おなじみ 富士の山
早い時間帯だったので、 渋滞なしで帰れました (^o^)丿
全国雪崩事故防止のための講習会 END
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