山の行方不明者捜索 山形Ⅹ
捜索2日目 29日(5)
ご家族のいる遭難者発見現場へ向かったにもかかわらず、沢の二股の先どちらがその場所につながるかの情報を得ておらず、さらに地図の位置と地勢関係を勘違いし、その上遭難者が下流から上流に辿るであろう道を意識しすぎ、発見現場へ至る前にヘリの救助(遺体回収)作業が始まることになりまし。
そして、ヘリから下降した救助隊員が行方不明者のご遺体らしきものを小尾根越しにホイストアップされるのを見ました。
遺体を安置し、一夜を過ごすかも知れないという私の心配は無用になりました。
私の居る場所はどこなのか…。
結果は、以下のとおりです。
大きな勘違い その原因
29日の午前中に同じ沢の二股までチャンスと捜索に入りましたが、そのとき、地図と周りの地勢、そしてコンパスで 調べたとき上記地図の「二股と思い込んだ」位置でした。この思いがそのまま勘違いの原因につながります。
地図上の「思い込み二股」から南側の沢を登っていると考え、ヘリが到着したとき「Wm」付近にいると思い、ヘリは南の「Hm」あたりをホバリングしていると思い込んでいました。しかも、発見現場に向かう際、慌てて地図をもつのを忘れていたので、午前中の思い込みだけで「確認する」手段を持っていませんでした。
それで、遺体回収の作業を見ながら「なぜあそこなのだろう・・・」と不思議に感じていました。あとで、地図と行方不明者発見位置を確認したとき、その位置関係は「Wt」と「Ht」というものでした。
この「大きな勘違い」を初めて知ったとき、「みっともなく疲れるバカ」をやった自分を恥じました。
警察の現場確認 そして下山
下の駐車場から、私のアマ無線を通じ、県警の方から「ヘリが遺体を回収し、5人の隊員が現場検証に入ったのでお戻りください」旨伝えられ、「では、二股まで戻ったのち合流して戻ります」旨伝え、下り始めました。
二股でしばらく待っていると、左(東)の沢から警察隊員が下ってきました。そして、辛い気持ちを抑えた旦那さんと息子さんも。
発見できたことは良かったけれど、ご遺体との対面はとても辛く悲しい出来事だったに違いありません。
沈痛な面持ちで、皆黙々と下っていきますが、それでも、長くかかった捜索がようやく終了したという安堵のようなものも感じました。
駐車場に戻り、警察関係者と挨拶を交わし、帰る準備にとりかかりました。
ご家族は、平静を装いながら明るく接してくれますが、涙を抑えた辛い気持ちが伝わってきます。
そんな中、発見に至ったときの様子も説明してくれました。
「沢筋を下りながら、こっちの方を… と気になる方向に移動しながら沢の一角に下ったとき、白いものが見え、何かと思ったらそれが母さんだった…」
「ビニールの雨合羽を巻きつけて、小さくうずくまっていました。」
「きっと、寒さをしのいでいたのだろう…」
「とても悲しく残念な結果だったけれど、お母さん戻ってもらえて本当によかった…」
「きっと、みなさんの強い気持ちに、お母さんが引き寄せてくれたんだと思います」
「このあとしばらく大変ですが、皆さんで乗り越えてください・・・」
「ほんとうにありがとうございました」
「チャンスが見つけたわけではありません、皆さんの強い気持ちが発見につながったんです」
「WKさんが来てくれたお陰で発見できました」
「WKさんが来てくれなければ… 見つからなかったと思います」
心からのお礼の言葉に恐縮しました。
確かに、ご家族まで諦めかけていた昨日、「明日も捜索するために残ります」と言ってあげれたことが、結果的に発見につながったと言えるかも知れません。
こうして遭難から9日目、行方不明者はご家族の元へ帰ることができ、長く辛かった悲劇に終止符が打たれました。
今回の捜索は、直接的な貢献にはなりませんでしたが、「結果として成果に結びつく間接的な貢献」というものを知る、貴重な経験となったことは確かです。
発見場所の位置、そこに至った経緯、臭いを捕らえられなかった原因などについてはこのあとの記事で述べたいと思います。